おはなし

一昨日書きました、寝床で面白い話をして大爆笑して笑顔で子ども達が眠りにつく話。
ネタは数々ありますが、一番人気は、しずかちゃんが部屋でスーパーボールで壁当てして遊んでたら、口に飛び込んで飲み込んでしまい、それをのび太とドラえもんがスモールライトで小さくなって、取りに行くお話。
まずドラえもんのオープニングテーマ(古いバージョン)から始まるのですが、凜太郎は「そんなのいいから早くお話を」とニベもないけど、下の娘は一緒に唄います。
他にも藤子不二雄ネタや桃太郎ネタがありますが、大抵最後は下ネタで終わります。
何度か、凜太郎に
「おとうさん、能楽師のクセに下品」
と言われたことがあります。
「能楽師のクセに」というのは、ジャイアンが多用する「のび太のクセに」の影響を受けているのでしょうか。そのような悪い言葉、私は教えた覚えがありません。
また、能楽師は上品でなければならない、という観念が感じられますが、これもいつ覚えたのでしょうか。私は言葉で教えた覚えはありません。
しかしながら、そのうち子ども達にも人格を疑われますから、『ごんぎつね』や『かさこ地蔵』のようなお話を早く仕入れないと…。


父のこと2

(つづき)
私が能の道を選んだ時、父は、息子が未知の世界に足を踏み入れるのですから、さぞ不安だったろうと思います。
私が内弟子修行に入る直前にバブル経済が崩壊して、まだ世の中がそれを信じられなくてもがいていた時、日本の終戦から高度経済成長期を歩んだ証券マンの父は、多少無常感を感じていたのか、人生金儲けが全てではないから、お前の選んだ道は正しかった、と漏らしたことがありました。
現に私は今、自分の信じる道を歩んで、幸せですし、一度も止めようと思ったことや、後悔したことはありません。
数々の素晴らしい出会いがあって、みな私を引き立ててくれて、自由過ぎると言われながらも面白おかしく生きています。
凜太郎は、きっと私と同じようにはいかないでしょう。たかが二代目とはいえ、生まれながら能の道を歩んでいるのですから。
今は能が大好きと言っていますが、このままいくのはそう簡単ではありません。
凜太郎も好きな道を歩めば良いのです。もちろん好きになるように仕向けて、能の基礎は徹底的に身に付けさせますが。
今の私は、趣味と言ったら「能」と「家族」くらいですが、昔の私を知っている方はご存じの通り、数多くの趣味や道の中から、この道を選んで職業にしただけで、ただ好きなことをやっているだけです。
毎朝、毎晩、食事の前に、子ども達と私たち夫婦は、父の遺影を飾ったお仏壇に花を手向け香を焚き、お参りしています。
反抗期が来た時に、頃合いをみて父の話をしてやろうと思います。


父のこと

今月末、父の祥月命日があり、他界して10年になります。
私の父は、能楽師ではなく、普通のサラリーマンで、いわゆる転勤族でした。名古屋ではなく関東の生まれで、父の転勤に伴って、家族も横浜から小田原・東京・仙台・名古屋と移動したのです。
野球と時代劇をこよなく愛し、子供から見てもちょっと優しすぎるのでは、と思うくらい穏やかな優しい人でした。
私の妻とは、生前何度か会っていて、父は大変気に入っていましたが、結婚式に出ることなく他界してしまいました。
まだ私が内弟子修行の真っ只中で、舞台出演(能『鞍馬天狗・天狗揃』の天狗役)の為、博多行きの飛行機に乗り込むタラップで携帯電話に訃報を受けましたが、舞台人の宿命でもあり、顔を見ることなく、別れました。
もう少し長生きすれば、孫を抱くこともできただろうに、私が一本立ちしたところも見せてやれただろうに、と時々思います。
親孝行したい時に親はいないと言いますが、本当にその通りです。
今こんなことを思うのは、私が父親になったから。いや正確に言うと、父親の自覚がやっと出てきたから。
子を思う父親の気持ちというものを考えた時に、どうしても故人に想いを馳せてしまいます。
毎晩布団の中で面白い話を聞かせてくれて、子ども達は大爆笑してニコニコ眠りにつく。
今私は同じことを自然にしています(毎晩ではないのが残念ですが)。
(つづく)


3月3日(日)豊田市能楽堂 能『千手』

 来る3月3日(日)14時開演 豊田市能楽堂にて、能『千手』(シテ 大坪喜美雄)のツレ・平重衡(たいらのしげひら)役で出演いたします。

このツレは、両シテ扱いで、シテと同格の重要な役です。直面で最初から最後まで床几に腰かけて、囚われ人の悲哀を現します。

源平合戦に敗れた平清盛の末の子・重衡は、鎌倉の狩野介宗茂(かののすけむねもち)の元に預けれらていますが、東大寺と興福寺を焼打ちしてしまった罪により、僧兵から引き渡しを求められて(その後、史実では都の木津川で処刑されてしまう)もう明日にも都へ連れて行かれるという状況です。
重衡のあまりの貴公子ぶりにいたく心を打たれた源頼朝は、お側仕えの遊女・千手の前を遣わして重衡を慰めていました。

ここまでが、能『千手』が始まる前段階。この状況を知っていると、この能の雰囲気をより味わうことができます。

能は、まず重衡が一人登場し、舞台に向かって右側のワキ座と言われる場所に床几に腰かけます。すると、舞台は狩野介宗茂の館の、重衡が滞在する一室、ということになります。

頃は4月20日。春の雨が降る中、千手の前が今日も琵琶・琴を持って重衡を慰めに来ます。
昨日重衡は、千手を通じて出家の望みを頼朝に伝えてありましたが、朝敵ゆえ私情で出家を許すわけにはいかないとの返事を聞き落胆します。
湿っぽくなったこの場を変えようと、狩野介宗茂は酒宴を催して、盃を交わし、和歌を朗詠して千手は舞を舞うと、重衡も興に乗って琵琶を弾き始めましたが、明け方も近くなり、やがて後朝(きぬぎぬ)の別れの時が来ます。
重衡は警護の武士に引き立てられ、都へと再び護送され、千手は袖を涙で濡らして見送ります。

終始春の雨の夜の雰囲気に包まれ、能独特の抑えた表現が生きる曲で、また作曲が素晴らしく、宝生流の謡の良さが出ると思います(地頭 小倉敏克)。

入場料は
正面席     6,000円
脇正面・中正面 4,000円
学生      2,000円(脇正面・中正面のみ)
小・中学生    500円

お問い合わせは、当ホームページ または、豊田市コンサートホール・能楽堂(0565-35-8200)へ。


愚か者よ…

徹夜で黒川能を観て帰京し、羽田空港から子ども達の幼稚園のお遊戯会に直行したことは昨日お伝えしました。
我が子の成長を実感してまなじりが熱くなり、ごほうびに外食して帰ったあとに、1日早く豆まきをする予定でしたが、今から考えると40時間ほどほぼ一睡もしていなかったので、豆まきをする気力が無くなり、子ども達をお風呂に入れて寝る準備にかかりました。
娘と布団に入ると、いつものおもしろいお話をしてくれとせがむので話し始めましたが、途中で気を失ったらしく、明朝妻から聞いた話では、
娘は「おとうさん、ゆさゆさしても起きないから、電気の紐をカチカチ引いてあげて、ドアを閉めてあげた」
と言って、おかあさんの布団に入ってきたそうです。
黒川能の最中は祭の高揚か、不思議と眠くならなかったのですが、子どものお遊戯会では、自分の子どもの出番以外は睡魔を払いのけるのに必死で、心の中で数珠をサラサラ押し揉んでいました。
が、帰宅したら遂に天に召されるように眠りについてしまいました。
翌朝、スッキリと目覚めて復活!元気に岡崎と名古屋のお弟子さんの稽古に行って帰ってきました。
まだまだ徹夜で試験勉強もできると自負していましたが、無理ですねこれは。
マッチ(近藤真彦)の古い歌がよぎります。
「愚か者よ、今夜は、眠れよ」


黒川能2

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黒川能・王祇祭で付けていたマスク。

2つとも真っ黒。

かなり大きい蝋燭5・6本を、18時から朝方5時まで、11時間灯し続けるので、目には見えませんが煤(すす)がすごいようです。

私達は、少し遅れて入場したのですが、観客が皆、昔の不良グループみたいな黒いマスクをしているものですから、「あ、白いマスク持ってきちゃったけど良いのかな」と一瞬考えましたが、途中お手洗いに立ち、鏡を見ると、自分もちゃんと不良グループの仲間入りしていました。

6時間くらいで一度 取り替えましたが、やはりすぐに真っ黒。これでマスクをしていなかったら、肺はどうなるんだろうと、またいらぬ心配をしました。

演者はもちろんマスクをできません…。

後の予定は、
7時過ぎの飛行機で帰京して、10時からの子ども達の幼稚園のお遊戯会に直行
ですので、観世流の方のお計らいで、彼の定宿の温泉に(超短時間でしたが)入り煤を流し、庄内空港に向かい無事帰京し、何事も無かったかのようにお遊戯会に参りました。


黒川能

黒川能の王祇祭を観てきました。無泊徹夜で。
いつかは本場で観てみたい、と昔から思っていたのですが、観世流のある方から、ぎりぎりの旅程になるがいかが、とお誘いいただき、チャンスを逃すまいと、ある狂言方を含めた男3人で。
カルチャーショックを受けました。自分の舞台に生かすとか、芸を盗むということではなく、純粋に一観客として、大いに楽しんで、お神酒をいただき拍手もしました。
「能を観る」というよりも、「お祭りに参加」しているという実感があります。
演者も郷土芸能らしい大らかさがあり、各人がプライドを持ってしていることに感心しました。
これが丸々昔のやり方だとはもちろん思いませんが、何かヒントがあるような気がします。
(つづく)


春なので…

今日から2月。いよいよ春が近づいて来ました。
暖かくなり始めると、和久だけに心が躍ります(わくわくとね…)。
当ブログ、毎度投稿にムラがありますが、統計をとると、ある傾向が見えてきます。
3回集中的に投稿したその後は、かなり間が空いてしまいます。
自分ではわかっているのですが、頭を使い過ぎて力尽きてしまうのです(もしくは飽きてしまう)。
これを「Mikka-Bose」というのでしょう。
英語で言うと、悪癖も少し格好良い感じがいたします(暦の上ではもう春になりますので、お許し下さい)。
他に投稿がストップするのは、人との約束を果たせていない時。
「あいつは頼んだ仕事がまだ終わっていないけど、ブログを投稿する時間はあるんだ」
と思われることを、非常に怖れるのです。
あとは、何か人に言えないことをやっている時。
これは、今流行りのFacebookなどは顕著ではないでしょうか。自らたった今やっていることを世間様に知らしめているのですから。
うまく利用すればアリバイ作りもできそうですが、残念ながらGPSで宇宙の衛星から見守られて(見張られて)いますので…。
息苦しい世の中になってきました。私など、役者の端くれながら、「夢」をお見せする仕事をしている矜持があるのに。
「スマフォ」に引き続き、そろそろFacebookは卒業の時期が近づいてきたかもしれません。