MOA美術館薪能 2
(つづき)
達君のお父さんは水上優(ゆたか)さんで、同じく私より2歳年上。私は子方はやっておりませんので、10代後半の宗家の内弟子時代からの20年来のお付き合いで、同じ釜の飯を食った仲間として、仲良くさせていただいています。
その息子2人がまた同じ年かさで、これから一生共に切磋琢磨していく、という、この伝承の面白さが能の魅力のひとつでもあります。
私には家柄はありませんが、自分が先達から受け継いだものを間違わずに後世に伝承していく一端を担い始めたことに、責任を感じます。
ところで、私は子方をやっておりませんが、実は約20年前に、同じMOA美術館薪能にて、同じ亀役を勤めております。
鶴は同い年の小林晋也さん。
子方の場合は直面(ひためん・能面をかけない)に鶴と亀それぞれの冠を戴きますが、当時2人とも10代後半で大人の体型ですので、鶴は小面(こおもて・初々しい女性の面)、亀は邯鄲男(かんたんおとこ・『邯鄲』専用の若い男の面)をかけて勤めました。
この時のシテは、先代宝生流宗家・宝生英照師(故辰巳孝師の病気療養による代演)。
今回の鶴亀は、私は地謡で出演。ハラハラドキドキイライラ。
もう一番は『黒塚・白頭(はくとう)』(シテ・辰巳満次郎)。
これも文句なしの一番になることでしょう。
詳細は、MOA美術館ホームページ。
雨天の場合、MOA美術館内能楽堂に。演能中に雨の場合は中止。
凜太郎にてるてる坊主を作らせます。
MOA美術館薪能 1
8月2日(木)18時開演、MOA美術館薪能にて、凜太郎が能『鶴亀・曲入』(シテ・小倉敏克)の亀を勤めます。
時の皇帝(シテ。唐の玄宗皇帝と目される)の治める御代を寿いで、長寿の象徴である鶴と亀が舞を舞うと、皇帝も興に乗って、めでたい春を祝い舞を舞う、という極単純な曲で、ストーリーはほぼ存在せず、めでたさを表現することに終始します。
今回は「曲入(くせいり)」という小書(特殊演出)が付き、通常の『鶴亀』には無い長い詞章(クリ・サシ・クセ)が挿入され、シテはクセで舞を舞います。
このクセは、現行曲では無い『巴園(はえん)』という曲中のクセをそのまま挿入したもので、宝生流では「蘭曲(らんぎょく)」という重い扱いになっています。
このクセの終わりにかけて鶴と亀が登場します。
この鶴と亀役、宝生流では子方が破之舞(はのまい)を相舞(あいまい・シンクロ)にて勤めるのが現在の主流で、皇帝の荘重な舞の前座として、誠に可愛らしいものです。
相手役(鶴)は、水上達君。凜太郎より2歳年上で、普段も仲の良い2人です。
凜太郎は稽古で毎回会えるのが楽しみのようです。
(つづく)
線香花火
今夜は、息子の3日早い誕生パーティー。
娘のハッピーバースデーの歌で、凜太郎は6本のローソクを吹き消して、妻の手料理で祝い、家族4人で(今日買った)ドラえもんのボードゲームに興じ、結びは庭で花火大会。
線香花火は、夏の終わりを感じさせますが、まだ夏は始まったばかり。
いつかこの日を懐かしむ時が来るのでしょう。
時間よ、少しだけ止まれ!
鼻モゲラ
この3日間、息子(凜太郎5歳)と2人きりで名古屋に参り、母と妹夫婦の家にお泊まりしました。
普段、能の稽古以外では、息子と十分に触れ合えない分、道中存分に甘やかしてやりました。
名古屋では、義理の弟(と言っても私より年上)が我が子のように大変可愛がってあちこち連れまわしてくれました。
妹は手製の料理を振る舞ってくれ、母はおばあちゃんぶりを発揮、姪(中3)は弟のように可愛がってくれて、みんなママがいない不安を消し去ってくれました。
それを良いことに、私は少しでも時間を有効に使おうと、名東高校の稽古に行ったり、岡崎の稽古にしたり。
なかなか私自身も、純粋に休暇を楽しむことが出来ない性分になっていることに気付き、複雑な心境です。
いっそのこと、携帯電話や手帳・謡本を置いて、海外にでも抜けなければ、ただの仕事人間になってしまうなあ。それを今のところ選択しているのは、私自身ですが…。
夜が心配でしたが、ホームシックや鼻モゲラ(造語。彼のクセで、寝付く時に人の鼻をこちょこちよいじり回す)も無く、妹達とすやすや寝られて、私はありがたく悠々と羽を伸ばして休めました。
来週、6歳になります。一回り大きくなって帰るのを、妻は心待ちにしていることでしょう。
来る20日の誕生日当日は、私は国立能楽堂の納涼能で舞台(家元の能『忠信』のツレ)、その前2日間も仕事で帰りが遅い為、明後日の一足早い誕生パーティーでは、仕事を忘れて、心から成長を祝ってやろうと思います。
舞のワークショップ
まだ先の話ですが、9月14日(金)午後6時半~8時半、国立能楽堂内2階・研修能舞台にて、
「楽しもう!能の世界 舞の世界を知ろう」
という催しを、国立能楽堂の初めての企画で、一噌流笛方の小野寺竜一さんと私の2人で、ワークショップをいたします。
これは、9月21日(金)午後6時半開演の定例公演、狂言『口真似』と宝生流能『羽衣 盤渉(バンシキ)』(シテ・金井雄資)の鑑賞に先駆けて、曲の解説というよりも、能の囃子事の「舞」について、実演を交えつつ、初心者向けに解説いたします。
募集人数は50名、参加費は3,100円で、21日の定例公演の鑑賞料金(脇正面)。ようするに、公演当日券を購入したのと同じ料金で、舞のワークショップにも参加出来るということ。
但し、往復ハガキによるお申し込みが必要です(応募多数の場合は抽選)。締め切りは7月23日(月)必着。詳細は国立能楽堂ホームページにて発表していますので、ご一読下さい。
カバンの中身 2
ハンドクリーム。
こうして見ると、輸入物の珍しい商品に見えるかもしれませんが、コンビニで、手にすっぽり収まる大きさが気に入って買った物。
手は、舞台で意外と目が行くところなので、気を使います。
日焼け止めもそろそろ用意しなくては。
この調子で、エスカレートしてコンパクトや化粧ポーチなんか持ち出したら、陰でおっしゃらずに、勇気を持って私に忠告して下さい。
「コスメティック・ルネッサンスか」
と。
ビューティフルレイン
本日7月1日(日)からフジテレビで始まった、「ビューティフルレイン」というドラマに見入ってしまいました。
普段テレビをほとんど見ない為、流行にはいつも取り残されている方ですが、たまにこうして何気なくつけたテレビで、良いドラマとの出会いがあり、泣いたり笑ったり、人生観が変わったりします。
豊川悦司演じる父親と、芦田愛菜ちゃん演じる娘(美雨。題名の由縁か)が織りなす親子愛。母親は8年前に亡くなっています。
初めはただの幸せ父娘の話かと思いきや、父親は若年性アルツハイマーと診断されます。
このまま後期症状に進むと、家族が誰か解らなくなり、遂には自分が誰かも解らなくなる、と宣告され、父親は医師にくってかかります。
「娘はまだ7歳だ、そんなことになったら誰が娘の面倒を見るんだ!」と。
理不尽な怒りですが、気持ちが分かります。
あまりこのブログには登場しませんが、私には、今月6歳になる息子の他に、4歳の娘がおります。
別に、息子を偏愛しているわけではなく、娘も同様に可愛がっていますが、能に深く関わらせているのは、息子ですし、我が娘は何しろ能には向いていない気がするので、ブログの登場回数も自ずと少なくなります。
よく思うのが、この子たちが、もしそれぞれ一人っ子だったら、溺愛し過ぎて、子供は息苦しいだろうなと。
特に、自分と娘がこの「ビューティフルレイン」のような状況に置かれたら、と考えると、物狂おしくなります。
記憶喪失物は、昔から数多くあり、万人泣かされてきましたが、ワンパターンと思うなかれ、「能」も同じです。
鉄板の題材は、先が読めてしまおうが、マンネリ化しようが、役者や演出が変われば、違う作品になるのです。
例えば『隅田川』は、話の展開がわかっていたって、何度でも泣けるのです(このように、曲の出来が素晴らしいから、役者が多少まずくても、曲に助けられるという曲が能にはいくつかあります)。
ともあれ、自分の身に起こる悲劇はいやだけど、ドラマ・演劇・能は無責任に人を泣かせてくれますね。人間の欲求で、「泣きたい」という欲求もあるのでしょう。
来週から欠かさず観なくっちゃ!
芦田愛菜ちゃんかわいい!