能『芦刈』 能評 (7月29日中日新聞夕刊)

昨日(7月29日月曜日)の中日新聞夕刊に、先月6月29日土曜日 豊田市能楽堂「納涼能」にて勤めさせていただいた能『芦刈』の評が掲載されました。

良いことばかり書いていただいてお恥ずかしい限りですが、ご一読ください。


合宿

今日から名東高校能楽研究部の合宿です。毎年夏休み恒例行事で、合宿所に泊まって終日稽古尽くし。普段見られない部員たちの顔が見られます(私もそう思われているかも)。

夜は花火、朝は蝮が出そうな池の周りを散歩。

3食は食堂で各自ご飯を盛り付け、手を合わせていただきます。

もうこの子たちも、私の子供世代になってきました。可愛いもんです。


渋谷能、有難うございました

昨日の渋谷能 第4夜 能『藤戸』(シテ 高橋 憲正)、おかげさまでなんとか無事済みました。大勢のご来場及びクラウドファウンディングなどのご支援、誠に有難うございました。

地頭として、この曲に思うところをぶつけましたが、思うようにいかなかった面もあり、また今後の舞台に生かしてまいります。

終演後のアフターパーティーにては、お客様の貴重なお声を伺うことができ、大変勉強になりました。

その後は、高橋 憲正氏と2人で、時間を忘れて深夜まで語り合いました。この2人が揃うと、ほとんど能のこと、宝生流のこと、芸のことしか話しません。芸風は全く違うとお互い認識していますが、見ている先、大局は同じ。良い仲間(ライバル)を持つことができました。

 

今日明日は、熱海のMOA美術館能楽堂にて、辰巳満次郎師ご社中の発表会と、新作能『王昭君』(シテ 辰巳満次郎)、という2つの催し。私は、『王昭君』の地頭と、発表会にての能『昭君』(古典の方)の地謡や、一調『三井寺』、仕舞の地謡などを勤めさせていただきます。重要なお役の機会に恵まれて有り難いことです。


第4回 逢の会(名古屋能楽堂)

一昨々日は、五雲会申合せにて能『来殿』地謡の後、「獅子の会」(宝生能楽堂)にて、能『忠信』と舞囃子『安宅 延年ノ舞』の地謡に出演し、その後自宅にてお弟子さんの稽古。

一昨日は、終日甲府のお弟子さんの稽古、

昨日は、朝イチで散髪し、五雲会にて能『来殿』の地謡に出演、合間に能『烏帽子折』の斬組(チャンバラ)の稽古。終演後、来週に控えた能『藤戸』(セルリアンタワー能楽堂)の稽古会。帰宅して、息子の13歳の誕生日パーティー。

そして、本日は、「第4回 逢の会」に出演の為、名古屋に向かっております。私は、能『鉄輪』の地謡と、能上演前の『土蜘』の蜘蛛の巣投げ・装束着け体験レクチャーと、演目インタビューなどを受け持っております。

名古屋能楽堂にて、はや4回目の開催となる「逢の会」。私の学生時代、東京藝大にては1年先輩の衣斐愛さんが主宰する個人演能会で、彼女らしい特色のある催しです。お嬢さんがお2人いらっしゃこともあるからでしょうが、子供に向けた能の普及という目的をはっきりと持って活動しています。

今回、『鉄輪』という、女の強い嫉妬による執念が鬼(生霊)となった、能としては大変生々しい曲を演じられます。女性が演じた場合にこの曲はどうなっていくのか、楽しみでもあり、正直言ってちょっと怖い、という気持ちもあります。しかも、今回は特別に「ろうそく能」。和ろうそくを灯した燭台を舞台や橋掛りの周囲に置いて、舞台照明を落とし、面装束の陰影が付く演出。『鉄輪』の謡の文句そのままに「身の毛よだって恐ろしや」。こういうときは、何者かが立ち現れる瞬間があります。


掛け持ちお許しください

今月7月は、先週の学校巡回公演が長期間だったことや、特に舞台出演とそれに伴う申合せ(リハーサル)が多く重なり、休みが一日も取れない月となりました。

休み、といっても、自分の稽古や息子の稽古、はたまた事務作業に時間を取りますので、休んでいるのかいないのか。私としては何の苦痛もありませんが。

「身体は大丈夫か」、と皆さまご心配いただきますが、食事と睡眠だけはおろそかにしていませんので、大丈夫。毎日元気いっぱいに動いております。「家庭も大事に」とおっしゃっていただきますが、それは少し耳の痛いところ…。最低限、朝食だけは家族そろって、と心掛けています。8月には挽回しようかな…。

市川海老蔵丈の歌舞伎座休演について、巷間(ネット・SNS・報道など)色々なご意見が当然あるようですが、心から心配します。あの方のお忙しさは私など比ぶべくもありませんが。歌舞伎の25日間連日興行はいつも想像するに大変なことと思っております。ちょうど厄年にあたるのではないでしょうか。これをきっかけにきっとお考えになることでしょう。

能は連日興行はせず(というよりも、能の興行のシステム上「できない」のが本音)、一期一会をうたい文句にその日一日にかけます。が、果たして、全ての能役者が(私も含めて)、歌舞伎役者の25日分のエネルギー同等を一日にぶつけているか、は疑問です。

 

ほとんどの能役者は、役者業だけでは生活が成り立ちませんので、師匠業を兼ね、趣味でなさるお弟子さんのお稽古をして、お月謝をいただいて生活しています。つまり、お弟子さんに支えられているのです。そのことは、妻とともに、我が家の子供たちには幼少期から常に言い聞かせております。ですから、舞台も大事ですが、お弟子さんのお稽古も大事。よって、先約優先の原則も同じはずなのですが、どうしても急な合わせ稽古やリハーサル、代役などで、お弟子さんとの先約を反故にしてしまうことがあり、大変申し訳なく思っております。

昨日は、自宅稽古の後、「としま能(東京芸術劇場)」に出演の後帰宅してまた自宅稽古。

本日は、自宅稽古の後、「獅子の会(宝生能楽堂)」の『安宅 延年之舞』の申合せ(宝生能楽堂)をして、帰宅しまた稽古、夜は「渋谷能(セルリアンタワー能楽堂)」の『藤戸』の事前講座(講師)。

明日も、自宅稽古の合間に、新作能『王昭君』(地頭)の為、宝生能楽堂にて申合せ。

 

このように、今月は稽古日が取れないために、舞台や申合せの前後に自宅にてのお弟子さんのお稽古をさせて頂いております。お弟子さんには無理を申しますがお許しください。


学校巡回公演より

昨日はいわき市の中学校。今回、集中力が高い生徒さん達で、能を観る気迫が伝わり、私も大変やり甲斐がありました。

 

『黒塚』の藁屋の作り物。幕内にて。

 

今回も体育館に素晴らしい舞台が!

 

体験コーナーの設営。

 

能と狂言の装束の展示。


謡跡『黒塚』2

鬼婆の石像。朽ち果てているのが余計に怖い。

 

 

圧巻はこれ!鬼婆が隠れ棲んだ岩屋。

真下から。なぜこれが落ちてこないのでしょうか

 

 

御朱印を頂いたので、『黒塚』の謡本に挟んでおきます。

 

このように、執心が強い鬼や、幽霊、神様の役を勤めるときは、出来る限りゆかりの地にお参りするようにしています。「お役をさせていただきます」と。


謡跡『黒塚』1

今回の学校巡回公演、全くの偶然ですが、史跡『黒塚』がある土地・二本松市の小学校にて、第一日目の能『黒塚』を上演しました。

 

引き寄せられたような感覚。このようなチャンスはまたとないので、団体バスの運転手さんや出演者の皆さんにお願いして、上演後に史跡に立ち寄りました。

これが安達ヶ原の黒塚。

 

観世寺。

必ず謡跡にある、謡曲史跡保存会の立て札。

 

鬼婆が血の付いた包丁を洗った池。

(続く)


学校巡回公演(福島・山形)

一昨日は、文月能(ふづきのう)という、女性能楽師がシテを4番勤める宝生会主催の催しに出勤、昨日は、掬水会(きくすいかい)・みやび会という、水上 優師ご社中の発表会の助演。いずれも、プロとアマチュアの差はあれど、演者の熱量のある充実した催しでした。

 

本日からは、宝生会が文化庁から承った、学校巡回公演。昨年同様、各地小学校をまわり、子供たちに狂言『柿山伏』と能『黒塚』を観て頂きます。

今回私は、福島県の二本松市・いわき市・南相馬市二か所と山形県の遊佐町を回り、シテ2回、後見3回を勤めます。

昨年、浜松を拠点に愛知県・静岡県の小学校をまわった折のある学校では、ワキの阿闍梨が数珠をさらさらと押し揉んで黒塚の鬼を調伏するラストシーンで、子供達も自然に誰ともなくワキと一緒に手を擦り合わせ始めて、低学年とみえる子供達が総立ちで一緒に鬼を調伏してくれて、会場が一体化したライブ会場の様相を呈していました。子供の解放された心は素晴らしいと感じました。

また今年も、どんな出会い(ハプニング?)があるか、楽しみです。


烏帽子折の斬組(チャンバラ)

第6回 和久荘太郎 演能空間」の、能『烏帽子折』のチャンバラの型がやっと完成しました。

 

『烏帽子折』の後半は派手なチャンバラがあり、終盤の地謡の中での、牛若丸(子方。凜太郎)と熊坂長範(後シテ。私)の戦う部分は、「型附(かたつけ)」という伝書が存在して、動きが厳格に決まっているのですが、その前の牛若丸と立衆(ツレ。6人の後輩)の戦う部分は、斬組(きりくみ)といって、自由に作ってよいのです。但し、自由と言っても、各流に伝わるある程度の規範があり、それをあまり逸脱することは許されません。

今回は、当然ながら主催者でシテでもある私が作りましたが、なかなか苦心しました。牛若丸が立衆6人と戦って全員倒すのですから、激しい中でも徐々に盛り上がっていかなければ、お客様は見ていて飽きがきてしまいます。実際に人を相手に動いてみて作ると良いのですが、なかなかそのような時間もないので、自分一人で家の舞台で動き回って、ああでもない、こうでもないと、脳内でイメージを膨らませて、とりあえず机上の空論で数日掛けて作り上げてみて、今日実際に凜太郎に指導しながら少しの改良をして、完成にこぎつけました。

かなり複雑ですから、完成した状態で凜太郎に覚えさせないと混乱させてしまいます。できるだけ今後は変更しなくて済むように、完璧を目指して作り上げました。

凜太郎の『烏帽子折』の稽古は、その斬組部分以外の謡や型などは大方早いうちに身に付けましたので、今後はこの斬組を覚えて練り上げる稽古も並行して始めるのです。

このような苦労も、誠にやりがいがありますが、正直なところ、『烏帽子折』という大曲を手掛けてしまった後悔の念を、ほんの一瞬持つときがあります。しかし、それを振り払って、これを機に私も成長し、お客様のお喜び頂くお顔を見たいがために、日々奮起しております。