錣引き
今年もこの兜の登場。息子(中3)が産まれたときのもの。伝・源義経のレプリカです。
この兜の緒の房が、ウチの猫たち(十郎と五郎)はかなり気になるようです。
数日前に飾ったときから二匹とも、ちょいちょい手を出そうとしてはいたようですが、猫には届かない高さのため油断していたら、ついに今朝、十郎が兜を引き摺り落としたとのこと(妻・談)。
まさに「錣引き」(しころびき。能『八島』『景清』より)の再現。しかし、錣を引いたのは悪七兵衛景清ではなく「和久十郎祐成」。話が変わってしまいました。
さてさて、馬鹿話はこれくらいにして、明日も早いので菖蒲湯に浸かって寝ます。
白藤
数日前、近所の花屋さんにお仏壇の花を会に行くと、店頭でこれが超破格で売られていたので、衝動買いしてしまいました。
道行く人が皆立ち止まって
「きれいねえ」
と惚れ惚れとして見ていました。
しかし即売されなかったのは、おそらくその大きさ。結構な高さ(120センチ以上)があり、枝ぶり良く横にも広がっているので、ご年配の女性には運べないのかと。
私はジャケットスタイルでもなんのその。肩の上に軽々と担いで持ち帰りました。
信号待ちしていると、
「あら、あの藤売れちゃったわ!」
という聞こえよがしな声がチラホラと。皆さんすみません。
夢になりとも見えたまえ
18年前に他界した父に、久しぶりに逢いました。
父は当たり前に元気でした。しかし、いきなり「旅に出る」と。止めるのも聞かず出て行こうとしましたが、「これを」と私の手に託されたのは一頭の小さい「亀」。
その亀は元気いっぱい、私の手を降りてカサカサ逃げ回りました。
その亀を再び捕まえて飼い始めるところで、夢は覚めました・・・。
なんだったのでしょうか。夢占いではどう判じるのでしょうか。
能『清経』の、清経の妻(ツレ)を代弁した地謡の言葉に
「夢になりとも見えたまえ」
とあります。そのように思ったことも度々あります。まだ生きていれば77歳。孫の成長を見られただろうに。
18年間、朝な夕な、家族全員がお仏壇に手を合わせています。父は何を言いたかったのでしょうか。
能『清経』の平清経の幽霊(シテ)が、妻の夢の中に登場するときの言葉には、小野小町の和歌を引用して、
「うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものは 頼みそめてき」
とつぶやき、現世の妻に呼びかけます。
今年、奇しくも能『清経』のシテとツレの両方を勤めます。お互い、愛し合っているが故になじりあうのです。私は、両方の気持ちがよくわかる気がします。名曲です。