無事開催 ありがとうございました

昨日は、「第8回 和久荘太郎 演能空間」を、おかげ様で無事開催することができました。

 

悪天候のなかご来場いただいたお客様、また、ご友人をお誘いいただいた方々に心から感謝申し上げます。

 

次回「第9回」は、名古屋能楽堂にて、2023年9月24日(日)に開催致します。

能『三井寺』を舞います。

 

ご予定ください!


いよいよ演能空間6

能『松風』の象徴、「松の立木」。演能の最初に、後見によって舞台正面の一番お客様に近い場所に出されます。汐煙が立ち昇る須磨の浦において、松風・村雨姉妹の旧跡の松、という設定です。

能の終盤、在原行平の形見の烏帽子と装束と身にまとった松風はもの狂おしくなり、この松が、都から帰ってきた行平だと思い込み駆け寄ります。舞の途中、この松を一周するケレン味ある型を見せます。

 

 

「汐汲み車」。汲んだ海水を運ぶ車で、上に水桶が載っています。これを能の前半、シテが実際に綱を持って引きます。

 

 

舞台上から。

 

いよいよ明日は「第8回 和久荘太郎 演能空間」当日。

当日券も販売いたします。ご来場心よりお待ちしております。


ブログは休み

9月18日(日)の「第8回 和久荘太郎 演能空間」までは、頑張って毎日ブログを投稿しようと思っていましたが、今日はあまりにも忙しかったので休みます。

 

と、投稿してしまった。


能『経政』を舞います(10月8日土曜日 三保羽衣薪能)

来月10月8日(土)「三保羽衣薪能」にて、能『経政』を舞います(詳細は上記チラシをクリックしてご覧ください)。

 

もう一番は佐野登師の能『羽衣』。羽衣の正に本拠の土地で『羽衣』が上演されるという、何とも洒脱な趣向。会場のそばには「羽衣の松」という、天女が脱いだ衣を掛けたという、羽衣伝説にちなんだ一本の大きな松があります。

 

私は能『経政』は初役ではなく、何度か舞っていますが、一番思い出深いのは、東京藝術大学在学中の卒業演奏(東京芸大の音楽学部は「卒論」ではなく「卒演」で単位を取ります)。芸大の中に通称「能ホール(第四ホール)」という能舞台があり、そこでお客様をお入れして能『経政』を舞いました。お客様のすぐ後方には錚々たる顔ぶれの試験官が6人ほど並んでいます。緊張の中、私にとってこれが「初シテ」でした。しかし、公の初シテとして芸歴には載りません。宝生会が主催する催しで舞うものが本当の「初シテ」として芸歴となります。

 

平経政(たいらのつねまさ)がシテ。有名な敦盛の兄にあたり、琵琶の名手として名高く、法親王から「青山(せいざん)」という名器をお借りして常にそばに置いて演奏していましたが、一ノ谷の戦いに参戦するために、京都・仁和寺に預けおきました。

戦死した経政を弔うために、行慶僧都が管弦講(かんげんこう。音楽葬)を取りしきる、というところから舞台が始まります。

仄暗いなか、経政の幽霊が現れ、ありし日の花鳥風月に親しんだ日々を懐かしみます。

最後は、修羅道に攻め立てられる自分の姿を恥じて、灯火を吹き消して消え失せます。

 

東京方面・名古屋方面ともに日帰り可能な時間設定だそうです。

ぜひご来場ください!


いよいよ演能空間5

(続き)

「和久荘太郎 演能空間」のお客様の楽しみのひとつは、金子直樹さん(能楽評論家)の解説。第1回から今まで解説をしていただき、アンケートでも

「金子先生の解説が大変わかりやすくて能を楽しめました。」とか、

「金子先生の語り口が柔らかく温かみがあり、能への愛情を感じました。」

と好評を博しています。

 

ですから、今回ご来場いただく方も、「あらかじめ能の勉強が必要か」とか「楽しめるだろうか」という不安は不要です。まっさらな状態で当日能楽堂にお越しいただいても、能を味わい楽しむことができるのが「和久荘太郎 演能空間」の特長ですので、臆せずご来場ください。

 

金子さんは「能楽タイムズ」や「花もよ」などに能評論を書いていらっしゃいますが、論評厳しい時でもその人に対する愛を感じます。「叱咤激励」とはまさにこのこと。私も若い頃から色々とご教示いただいています。初めてお会いしたときには、私のことを「和久先生」とおっしゃったのですが、私よりもちょうど20年年上で、しかも金子さんの「先生」ではありませんので、「お互い『さん』にしましょう」と申し上げて以来、「金子さん」「和久さん」と親しくさせていただいています。

 

金子さんの解説は穏やかで品の良い人柄が表れています。聞いているだけで、その日の『松風』の世界にいつの間にか引き込まれ、能を早く見たくなります。

 

お楽しみに!

 

(続く)


いよいよ演能空間4

(続き)

今回の「和久荘太郎 演能空間」のテーマは、「車尽くし」。そんな日本語は存在しないのですが私が勝手に名付けました。演目それぞれが「車」に何かしら関わっています。

 

能『松風』には、この曲専用の「汐汲み車」という美しい小ぶりの作り物が登場します。須磨の浜辺で海水を桶に汲み、それを焚いて塩を精製するために汐汲み車に載せて運ぶさまを表しています。

水は重く重労働ですから、実際にはリヤカーのようなものでしょうが、能らしく美化して象徴的に表現します。

 

最初の一調『土車』はその名の通り、土を載せて運ぶ、やはり労働の車。それに人(子方)を乗せて運ぶ、というのはまるで『子連れ狼』を思い起こさせます。

『土車』は、現在宝生流には能としては残っていませんが、あまりに謡が良いのでその一節を残した「蘭曲(らんぎょく)」と言われる重い習い物として伝わっています。元々の能『土車』には、車の作り物が出てきたようです。

 

仕舞『笹之段』は、能『百万』曲中の有名な舞いどころ。やはりこれも昔は車(山車)の作り物を出したようです。念仏を唱えながら女物狂(おんなものぐるい。芸能者のこと)が芸を見せる『車之段』に続く『笹之段』は、物狂の象徴である「笹」を手に、車を引きつつ舞を舞います。

 

狂言『鈍太郎』の車との関わりは種明かしをしません。最後の幕入りを楽しみにご覧ください。

(続く)


一調『三井寺クセ』を勤めます(9月15日木曜日「囃子堂」)

 

 

来週木曜日の9月15日、「囃子堂」(会場 宝生能楽堂)にて、一調『三井寺クセ』を勤めます。

詳細はこちらをクリックしてください。

 

「第8回 和久荘太郎 演能空間」能『松風』の3日前ですが、大変興味深い催しかと思いますので、こちらもぜひご来場いただきたいと思います。

 

「京都能楽囃子方同明会」が主催する、東京では珍しい、京都の囃子を聞く会。

同じ囃子方でも、その地域によって変わった特徴や味わいが出ます。東京の囃子方に慣れたお客様だとそれを「違和感」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、それが徐々に「味わい」として楽しめるようになってくることと思います。

 

「一調(いっちょう)」とは、謡と楽器(小鼓・大鼓・太鼓)それぞれひとりずつの一騎打ちのような緊張感で臨み、よく「能一曲を勤めるつもりで勤めろ」と教えられる大事な発表形式。囃子方は、普段の能で演奏する手組み(楽譜)とは全く異なる手組みを演奏します。

 

私は今回小鼓をお相手とする一調を、幸流(こうりゅう)小鼓方の竹村英雄師にお相手いただきます。

『三井寺クセ』は、秋の名曲。鐘の音が聞こえてくるような名文句ですが、なかなかの長丁場。しかも謡い手にとっては誠にややこしい(間違いやすい)曲なので、気が入ります。

過去にやはり幸流小鼓をお相手にこの一調を勤めたことがありますが、打ち手によって雰囲気が変わりますし、私の父親世代の大先輩ですので、心して稽古に臨みます。

 

チケットのお求めは以下にお願いいたします。

エラート音楽事務所 075-751-0617

 


いよいよ演能空間3

(続き)

今回の能『松風』にてシテ(主役)の私が使用する面(おもて。能面のこと)は、「節木増(ふしきぞう)」。

 

最近奮発して手に入れたもので、現在宝生宗家の面の修繕・制作を一手に引き受ける後藤祐自さんという面打ち(能面作家のこと)の作品で、大変素晴らしい面です。

 

今回の『松風』の為に購入したと言っても過言ではなく、先々月に札幌で能『花筐』を舞った際にも実験的に使用しましたら、お客様の一部の方から「面が素敵だった」というお声を伺いましたので、素晴らしさを確認できました。

 

優れた面は、単体でも見る角度によってある程度表情を変えますが、演者の芸の力によって怖いほど更に表情を変化させます。

『松風』のシテとツレ(シテに伴う役)は松風・村雨という名の美しい姉妹の幽霊。昔契りを込めた在原行平(ありわらのゆきひら)を想い、泣いてばかりです。その泣く表情がどのように出るのかを楽しみにしてください。

 

また、シテの私が着る「水衣(みずごろも)」という装束も、『松風』の為に新調しました。『松風』には清浄な白色の「白水衣」をシテ・ツレ共に使用します。汚れの無い白さがこの曲の命、と思って無理をして購入。

 

このような面・装束についても、舞台を見ながら楽しんでいただければと思います。

(続く)


いよいよ演能空間2

(続き)

それから30年。宝生英雄先生でしたら、私が能『松風』を舞うなど、とてもお許しいただけなかったことと推察します。

実はこの『松風』、宝生流では特に大事にしており、私の近しい先輩方どころか、60代、70代の先輩でも舞った方は少ないのです。

私自身も、何も働きかけなければ、月浪能・五雲能などの定例公演では一生舞うことがない可能性があります。

全てを自分一人(妻の協力もあり)で企画・運営し、雑務も全て自分でやり、赤字も全て抱え込む、という覚悟の「個人演能会」でないと舞えないと判断しました。

 

「何も(未熟な)今やらなくても」「分不相応」

 

と先輩方には思われていることでしょう。

しかし、それでも『松風』を舞いたいという強い意志のもと、進めました。

 

きっかけは2年前からのコロナ禍でした。最初の緊急事態宣言では、全く舞台出演が無くなり、また、お弟子さんの稽古もできなくなり、まず完全に無収入になりました。その後お弟子さんのありがたい助けもあり、オンライン稽古で稽古を続けていただくことで生活はなんとかなりはじめましたが、ショックを受けたのは、私よりも若い狂言方の善竹富太郎さんがコロナで亡くなったことです。これにより、直後に控えていた15周年の「涌宝会(ゆうほうかい。お弟子さんの発表会)」を中止し、その直後の「第7回 和久荘太郎 演能空間」も、チケット販売しておりましたがあえなく中止として、払い戻し作業に追われました。

 

富太郎さんが亡くなり、私自身も「死生観」を考えるようになり、「人間はいつ死ぬかわからない」という自分自身の覚悟を持ったのです。

決して「やぶれかぶれ」ではない、静かな死生観。60代、70代まで大事な曲のお役が付くのをただ待っていたのでは、舞いたい曲も舞わずに死んでいくかもしれない、だったら、批判を恐れずに自分主催の催しで責任を持って大好きな曲を舞わせてもらおう、と思いました。

(続く)


いよいよ演能空間1

9月に入り、能『松風』の稽古にもいよいよ本腰が入ってきます。

9月18日(日)宝生能楽堂にて開催の「第8回 和久荘太郎 演能空間」。一昨年に第7回をコロナ禍でやむなく中止にして以来の開催。

「斯道(しどう)30周年」と題して、大曲『松風』を舞わせていただきます。

 

今の宝生宗家・和英師のお祖父様にあたる宝生英雄師に内弟子入りして今年が30周年にあたります。

能の家の出ではない私を住み込みの内弟子にしていただき、先生の晩年ではありましたが、身の回りのお世話も一番下っ端の私が随分させていただき、先生の発する何気ないお言葉のひとつひとつが大変含蓄あり、勉強になりました。

(続く)