舞台磨き②

(続き)

舞台磨きの前に、削った粉が周りに飛ばないように、念入りに養生をしました。

舞台正面から。真ん中の、緑の養生テープで囲ったところが出入口。

 

舞台の中から。

 

橋掛り側から。

 

普通は、養生というと、汚れたくないものの方にカバーを掛けるのでしょうが、舞台3面をカーテンのように区切ることによって外に粉が漏れないようにしました。

 

ここからやっと、やすりがけに入ります。大掃除もしながらですので、これは時間が掛かります。

松の内は、磨き続けることになりそうです。


舞台磨き①

いよいよ暮れも押し詰まってきました。

 

我が家も大掃除で大忙し。なーんて、例年は、申し訳ないとは思いつつ、妻に任せっきりで、私は仕事にかまけてほとんど何にもしません。妻に心から感謝。

しかし、今年の暮れは、奇しくも声帯ポリープ切除後のリハビリ期間なので、安静第一とはいえ、声を出し過ぎたり、あまり力み過ぎるようなことをしなければ良いので、心を入れ替えてしっかり掃除しています。

 

中でも、今回の静養中にやろうと決めていたのは、3階にある能舞台の板磨き。現在、築54年の家(7年前に購入)ですので、舞台も同じく54歳。昨今手に入らない貴重な桧(ひのき)の1枚板ですが、惜しいことに、ニスか塗料のようなものが塗ってあり、黒光りして色は良いのですが、どんなに磨いても、稽古をすると足袋が汚れてしまいます。この家を建てた方(故人)が、おそらく、早く良い色を見たいと思われた末の処理だと思います。

うちに稽古にいらっしゃるお弟子さん方は、足袋が汚れるとは一切仰いません。皆さん、さすが素晴らしいお気遣いですが、私や凜太郎は身をもって、汚れることを実感しております。

ということで、今回、紙やすりによる手磨きで、板の表面を隈なく磨こう(削ろう)と思います。

 

これが、現在の舞台。舞の稽古で能く通る部分が、足袋でこすれて白く削れています。この白い部分が、本当の舞台の色。全体がこの色になることを目指して、やすりをかけていきます。

(続く)


荘太郎 心の一句

 

           「謡いたい   ああ謡いたい   謡いたい」

 

夢の中で『采女(うねめ)』の謡を謡っていました。寝言で謡っているんじゃないかと心配です。


クリスマスツリー

クリスマスの町の賑わいも落ち着き、新しい年を迎える準備に慌ただしくなってきます。

 

我が家も例に洩れず、クリスマスツリーが煌めいている、神仏キリスト混交のイベント大好き日本人家族。

 

今朝、朝食の席、

 

 娘 「クリスマスツリー、早く片付けなきゃね!」

 私 「(心の中で「おっ、えらいな」)」

 妻 「どうしてそんなに急ぐの?」

 娘 「だって、いつまでも飾っておくと、お嫁に行けなくなっちゃうから。」

 (妻・凜太郎・私 大爆笑)

 

それ、ひな祭りでしょ・・・。


リハビリ開始!

本日、退院後初めての診察があり、キレイな声帯であることが確認出来ました。炎症も無く、見事にピッタリ合わさった声帯。暫く使っていないので、少し声帯が痩せてしまったとのこと。この楽器を、これからは大事に使わなければいけない、と再度自覚しました。

診察後、言語聴覚士によるリハビリが始まりました。試しにおっかなびっくり発声してみると、ザラついたしわがれ声。喉を開いて発声しても開かない感じ。3年前にも経験しているのですが、こんなに出ないものかと戸惑います。

本日から、1日につき1時間程度発声して良いとのこと。これで一安心ですが、喋り過ぎないよう、念を押されました。一応、筆談用のメモとペンは持ち歩いています。

風邪だけは、絶対にひかないように、更に念を押されました。声帯の傷にとって、「咳」が一番の敵だそうです。

本業の「謡(うたい)」のリハビリはまだまだ先で、順調に行けば、1月半ば開始予定。謡いたくてウズウズしています。


散歩

近所のお宅の寒椿。娘と久し振りに散歩しました。

ぽかぽか陽気で、気持ち良かった。

 

喋れませんが、私のジェスチャーを読み取る能力が、日ごとに高くなる娘。しかし、それでもどうしても伝わらないときは、下のメモ帳を取り出して、筆談します。

 

まずこの表紙を見せてから筆談。外出は極力控えている為、まだ家族以外には数回しか使っていません。この不自由さも楽しんでいます

 


無言の行②

昨晩は、早速寝言をしゃべり始めたらしく、妻がどついて制止してくれたそうです。

寝言はどうしようもありませんが、日中、今まで3回うっかり喋ってしまいました。

 

①「うまかった~」

②「ありがとうございます」

③「もう終わった?}

 

これら全て、口から洩れ出ずるように出てしまいました。

 

①は、手術が済んだ夜、病室にて、24時間ぶりの食事にありつき、病院ご自慢の和食を全て頂いた後に、独り感慨深く「うまかった~」と。

 

②は、その食事を下膳に来ていただいた看護師さんに、思わず「ありがとうございます」と。

 

③は、退院した翌日、自宅療養中に楽しみに見ようと録り貯めていたドラマ「監獄のお姫様」を私はまだ途中までしか見ていないのに、子供がいきなり最終話を見始めた為、他のことに集中して気を反らしていたところ、終わった気配がしたので、思わず「もう終わった?」と。

 

そして、まさにこのブログを書いている最中、つい今しがた、「なんだか寒いな」と口走ってしまい、「あっ!」と口を押さえました・・・。その後、エアコンの設定温度を上げた私。

 

いずれも、結構「良い声」が出ているので、ある意味安心しています。

 

なかなか無言ではいられません。

「MUGO・ん…色っぽい」(工藤静香)が脳内を流れています。

言いたいことならどれくらい あるかわからなくあふれてる 私心は おしゃべりだわ 

言いたいことならあなたには あとからあとからあふれてる 私意外とおしゃべりだわ

なのにいざとなると内気になる 遠い場所から何度も話しかけてるのに

目と目で通じ合う かすかに ん、色っぽい

目と目で通じ合う そういう仲になりたいわ

(以後省略)(1988年ポニーキャニオン)

 


無言の行①

無事、退院して、帰宅しました。

 

最終の診察では、ポリープ切除の傷も綺麗で問題無しとのこと。今後病院通いしつつ、5日後からリハビリが始まります。それまでは、無言の行。子供たちとコミュニケーションを取ろうとすると、やはり思わずしゃべりそうになります。

 

ただ、前回の手術のときは、約3年前ですから、凜太郎は小学2年生、娘は幼稚園年長。私が書く筆談の字も読めないし、察しも良くなかったのですが、2回目の今回、奇しくも2人の成長を実感。私のジェスチャーで大方読み取ってくれます。

 

写真は、娘が入院前に作ってくれた札(プラカード)。お父さんが、日常最も能く使う言葉です。「💢(怒りマーク)」は、妻が書き添えました。

帰宅後、早速使う機会が5回程あり、大変役立ちます。

 

日常生活で、子供たちがたくさん笑わせてくれるので、笑いをこらえるのに必死。入院前に、「声を出さないうがい」や「声を出さないで謡を覚える」などの練習はしましたが、「声を出さないように笑う」練習を、うっかりし忘れました。無言の行は難行・苦行です。

(続く)


手術無事②

(続き)

病室に帰ると、妻から驚きの報告。なんと、摘出したポリープ氏は1人かと思いきや、ポリープJr.がいたらしく、そいつも根こそぎしたと、主治医から説明を受けたとのこと。

 

話が前後しますが、手術前日には、恒例の声のテストを受けました。声量・音域・息の長さ・質などを細かく分析します。ポリープがあっても音域は4オクターブ超でいつも驚かれますが、私の実感通り、やはり息が全部声になっていません。また、小さい声だと声質が安定しないことが判明。どうりで、最近微細な加減が出来なくて、舞台上で真剣に謡うと、思いのほか大きい声になってしまうと感じていました。

これらが、今後のリハビリでどのように改善出来るか、楽しみです。

 

明日は退院。これから自宅にて自主管理のもと、発声禁を守らなくてはなりません。子供たちに「おとうさーん」などと呼ばれると、思わず返事をしてしまいそうで怖い!口うるさい父親も、暫く封印です。


手術無事①

手術、無事済みました。

 

先程、やっと酸素マスクが外れ、飲水許可が出ました。「甘露水」とは大袈裟かもしれませんが、朝から飲まず食わずだったので、その水の美味しいこと。

まだベッドでの安静は暫く続きますが、麻酔も大分覚めてきて、物を考えられるようになってきました。

但し、当然ながら発声は厳禁。昔からある知育玩具の「せんせい」の小さいバージョン(下の写真)をお借り出来、筆談とジェスチャーで会話します。

 

朝9時過ぎに手術室に歩いて入って、ストレッチャーで病室に戻ったのは9時50分。早いものですね。

麻酔薬が点滴で体内に入ってから、「1、2、3‥」までは数えた覚えがありますが‥、やはり今回も起き続けることはできませんでした。

そして今回は、前回のように、麻酔から覚めたときに「もう終わったんですか⁈」と叫ばないで済みました。それが一番不安だったので、事前に麻酔科の先生にお伝えし、起こすときに「和久さーん、手術終わりましたよ」ではなく、先ずは「和久さーん、喋らないで下さいねー」から声掛けしていただいたのが功を奏したのでしょう。

(続く)