久良岐能舞台 宝生流講座謡初
先日1月21日に、私が指導している久良岐能舞台(横浜市)の宝生流能楽講座の、謡初を致しました。
稽古日の一回を使って、特別に。
素謡3番、仕舞2番、独吟1番。
写真は、素謡『忠信』の様子。
ここの講師を担当させていただき、早3年目。
ここの稽古場も、お人柄の良い方が揃っていて、私は恵まれております。
常に受講生(生徒)を募集しています。
詳しくは、こちら(久良岐能舞台ホームページ)をご覧ください。
第60期第1回名古屋宝生会定式能『熊野』『小鍛冶』
次の日曜日(平成28年1月24日)、名古屋能楽堂において、今年最初の名古屋宝生会定式能が開催されます。
パンフレットは、以下をクリックしてダウンロードしてください。
【番組】
12時30分
演目解説(和久荘太郎)
13時
能『熊野』
シテ 衣斐愛
ツレ 内田朝陽
ワキ 飯冨雅介
ワキツレ 橋本叡
笛 鹿取希世
小鼓 後藤嘉津幸
大鼓 河村眞之介
後見 辰巳満次郎 他
地謡 衣斐正宜 他
狂言『薩摩守』
シテ 井上松次郎
アド 井上蒼大
アド 鹿島俊裕
仕舞『玉之段』
シテ 竹内澄子
仕舞『花筐 狂』
シテ 玉井博祜
地謡 衣斐正宜 他
〈休憩〉
能『小鍛冶』
シテ 内藤飛能
ワキ 高安勝久
ワキツレ 橋本宰
アイ 今枝郁雄
笛 大野誠
小鼓 後藤孝一郎
大鼓 河村総一郎
太鼓 鬼頭義命
後見 衣斐正宜 他
地謡 辰巳満次郎 他
(16時20分終演予定)
若手二人の、さわやかな舞台をご期待ください。
私は、開演前の解説と、能『熊野』『小鍛冶』の地謡を勤めます。
チケットお求め、お問い合わせは、こちらへどうぞ。
甲府涌宝会謡初(平成28年)
1月15日(金)甲府涌宝会謡初を催しました。
【番組】
素謡
『鶴亀』
『羽衣』
『鞍馬天狗』
『猩々』
写真は、『鶴亀』。やはり無本です。
会場は、武田神社敷地内の「甲陽武能殿」という、本式の能舞台ですが、屋外設置の為、寒さで止むなく楽屋にて催しました。
終演後は、甲府駅至近の「SADOYA(サドヤ)」というレストランで昼食会。
楽しいひと時です。
飛鳥舞台謡初(平成28年)
去る1月11日(成人の日)、恒例の飛鳥舞台謡初を催しました。
【番組】
素謡
『鶴亀』
『経政』
『熊野』
『海人』
『猩々』
写真は、全員による、素謡『鶴亀』。無本(謡本を見ない)です。息子と娘も参加。
数年前から、涌宝会(ゆうほうかい。私の同門会)では、『鶴亀』と『猩々』だけは、出来るだけ無本で謡いましょう、と提案し続けて、徐々に皆さん無本に対して抵抗が無くなってきた(私に対して抵抗できなくなってきた?)のではないかと思います。
今回は、新しいお仲間が5名増えて、年々賑やかになってきます。
終演後、家の向かいの大正大学内、プリンスホテル経営の「鴨台食堂(おうだいじきどう)」個室にてフレンチの懇親会。
和気藹々とした、良い会になりました。
能楽研究部(名東高校)
可愛い教え子たち。名古屋市立名東高校・能楽研究部員です。昨年度まで2名だったのに、今年度6名が加わり9名となりました。
ドイツからの留学生が1名、残念ながら帰国してしまい、現在8名。
一昨日1月9日(土)、愛知県高等学校文化連盟の日本音楽部門発表会にて、舞囃子『桜川』を上演しました。
シテ(主役)はもちろんのこと、地謡(4名)と3つの楽器(笛・小鼓・大鼓)も全て高校生のみで。
これは、何気ないようでいて、実はとんでもなく素晴らしいことなのです。
舞囃子の時は、仕舞とは違って、地謡は囃子とのリズムに合った臨機応変の謡い方(囃子謡)を習得しなければ、リズムが崩壊して演奏を続けることはできません。
楽器は、謡が謡えなければ囃すことはできませんので、謡の猛特訓から。
もちろん、シテも、舞囃子は仕舞とは比べものにならない長さの舞ですから、謡を熟知していなければ十分に舞うことはできません。
それらを9月からの短期間で全員見事に習得しました。
審査結果は、「優秀賞」!おめでとう!お疲れ様でした。
全国大会出場権は逃しましたが、現時点での最高の演技でした。
きっと、一生の思い出になることでしょう。
3年生2名は、これで卒業ですが、また落ち着いたらきっと能の稽古をしたくなることでしょう。
残る6名の新3年生と新2年生は、4月から新入部員を大勢入れて、今度は太鼓の入った曲に挑戦しましょう。
私のお正月
皆さまお健やかにお正月をお迎えのことと思います。
本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
大晦日は、少し成長した子供たちが、初めて年越しに挑戦。しかし、眠気には勝てず・・・。
夫婦のみで「紅白歌合戦」、「ゆく年くる年」という、古来より伝わる日本の年越しの儀式を執り行い、穏やかに2016年を迎えました。
起床して、お仏壇と神棚に拝礼し、一家揃いお屠蘇とお雑煮・お節料理を前に、ここは家長の威厳を、と年初めの慣れぬ訓辞を垂れ、お屠蘇を軽く頂いたら、朝一番の空きっ腹に効果てきめん。面はめでたき猩々のごとし。
まだ朝の冷気が立ち込める三階の能舞台に上り、一家4人にて(妻と娘も)我が家での謡初めを『鶴亀(月宮殿の白衣の袂)』にて厳粛に行いました。
来年は、お屠蘇の前に謡初めをしよう、とちょっと後悔。宴会芸のように、いい気持で謡う癖が付いてしまいそう。
届いた年賀状を眺めていると、もう良い時間。宝生能楽堂にての謡初めに向けて、紋付・羽織・袴の正装にて威儀を正し、凜太郎を連れていざ水道橋へ。
恒例の元旦の儀式で、東京の宝生流職分が長老から子方まで一堂に会し、本舞台にて家元の発声により、宝生流小謡「七宝」を同吟して、新年の舞台を開きます。
その後、新年会にていよいよ本格的な飲み正月を迎え、普段は厳めしい人も、この時ばかりは笑顔を絶やさず明るく、明るく。
凜太郎が、子方仲間の野月惺太くんとちょろちょろ動き回って悪戯をしようとも、明るく、明るく。
気持ち良く帰途につき、さて、私はこの後がいよいよ佳境。一家を連れて、妻の実家に向かいます。
めでたく100歳を迎えた妻の祖母を中心に、親戚が約30人集まります。
10人を超える子供たちを一列に並べ、「お年玉の儀」を執り行うさまは少子化ニッポンを忘れさせます。
みな年毎に大きくなり、楽しみ、楽しみ。
私も婿とて11年が過ぎ、下にも置かない歓待に恐縮しながらも、一員として漸く馴染んできたかな?
義理の兄が用意してくれたくじ引きでは、みな大はしゃぎ。凜太郎は、さすが(?)能役者、大仏のお面(能面ではない)を当てて大ウケ。その文字通り仏頂面のお面を付けて、親戚一同記念撮影。
子供たち皆、この日この時を永く覚えていてほしいと思います。
国宝・鑁阿寺へ徒歩にて初参り。昨年本厄を無事(声帯ポリープ切除手術がありましたが、「それくらいで済んで良かった」と)過ごして、後厄を揃って迎える和久夫婦は、昨年の御札をお焚き上げして、最後の厄年を無事乗り越えられるよう護摩の秘法を受け、鑁阿寺名物「いもフライ」を賞味し、足利の正月を満喫しました(まだまだ序の口)。
昨年に引き続き、厄年の今年は新しく事を起こさず、心を平静に保ち、身体をいたわり、無理をせずに過ごします。心ない世の人は、所詮他人事(ひとごと)ですからこれを「老成」と揶揄しますが、そうではなく、そういう「雌伏」の時期を迎えている、と考えています。
その代わり、厄が明けたら・・・。