私のお正月

皆さまお健やかにお正月をお迎えのことと思います。
本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。

大晦日は、少し成長した子供たちが、初めて年越しに挑戦。しかし、眠気には勝てず・・・。
夫婦のみで「紅白歌合戦」、「ゆく年くる年」という、古来より伝わる日本の年越しの儀式を執り行い、穏やかに2016年を迎えました。

 

 

お屠蘇

起床して、お仏壇と神棚に拝礼し、一家揃いお屠蘇とお雑煮・お節料理を前に、ここは家長の威厳を、と年初めの慣れぬ訓辞を垂れ、お屠蘇を軽く頂いたら、朝一番の空きっ腹に効果てきめん。面はめでたき猩々のごとし。

まだ朝の冷気が立ち込める三階の能舞台に上り、一家4人にて(妻と娘も)我が家での謡初めを『鶴亀(月宮殿の白衣の袂)』にて厳粛に行いました。
来年は、お屠蘇の前に謡初めをしよう、とちょっと後悔。宴会芸のように、いい気持で謡う癖が付いてしまいそう。

届いた年賀状を眺めていると、もう良い時間。宝生能楽堂にての謡初めに向けて、紋付・羽織・袴の正装にて威儀を正し、凜太郎を連れていざ水道橋へ。
恒例の元旦の儀式で、東京の宝生流職分が長老から子方まで一堂に会し、本舞台にて家元の発声により、宝生流小謡「七宝」を同吟して、新年の舞台を開きます。

その後、新年会にていよいよ本格的な飲み正月を迎え、普段は厳めしい人も、この時ばかりは笑顔を絶やさず明るく、明るく。
凜太郎が、子方仲間の野月惺太くんとちょろちょろ動き回って悪戯をしようとも、明るく、明るく。

気持ち良く帰途につき、さて、私はこの後がいよいよ佳境。一家を連れて、妻の実家に向かいます。

めでたく100歳を迎えた妻の祖母を中心に、親戚が約30人集まります。
10人を超える子供たちを一列に並べ、「お年玉の儀」を執り行うさまは少子化ニッポンを忘れさせます。
みな年毎に大きくなり、楽しみ、楽しみ。

私も婿とて11年が過ぎ、下にも置かない歓待に恐縮しながらも、一員として漸く馴染んできたかな?

義理の兄が用意してくれたくじ引きでは、みな大はしゃぎ。凜太郎は、さすが(?)能役者、大仏のお面(能面ではない)を当てて大ウケ。その文字通り仏頂面のお面を付けて、親戚一同記念撮影。
子供たち皆、この日この時を永く覚えていてほしいと思います。

国宝・鑁阿寺へ徒歩にて初参り。昨年本厄を無事(声帯ポリープ切除手術がありましたが、「それくらいで済んで良かった」と)過ごして、後厄を揃って迎える和久夫婦は、昨年の御札をお焚き上げして、最後の厄年を無事乗り越えられるよう護摩の秘法を受け、鑁阿寺名物「いもフライ」を賞味し、足利の正月を満喫しました(まだまだ序の口)。

昨年に引き続き、厄年の今年は新しく事を起こさず、心を平静に保ち、身体をいたわり、無理をせずに過ごします。心ない世の人は、所詮他人事(ひとごと)ですからこれを「老成」と揶揄しますが、そうではなく、そういう「雌伏」の時期を迎えている、と考えています。
その代わり、厄が明けたら・・・。