史跡「殺生石」
私の授業を受けている川村学園女子大学の学生さんが、明後日11月30日(金)夜能にての、能『殺生石』の鑑賞前に、実際の那須野に存在する、史跡「殺生石」を撮影してきてくれました。
後ろに見える、注連縄を張った石が、「殺生石」。
「殺生石」のアップ写真。
私も、『殺生石』を初演した9年前に参りました。今回も行きたい気持ちは有ったのですが、時間か取れず断念したところでしたので、雰囲気を伝えてくれて嬉しく思います。
「殺生石」は、近寄る人や生き物を殺してしまう呪いの石として伝わります。
今も、温泉地とて、火山性の亜硫酸ガスなどが微量ながら噴出していて、その量が多い日は、立ち入りを禁じられることもあります。
その石の前には、荒涼とした賽の河原が広がります。ここに、玄翁は訪れ、怪しい女と会話を交わすのです。
0.6段落
11月18日の能『大會(だいえ)』のシテは、おかげさまで無事済み、昨日、一昨日の「満次郎の会」にての、新作能『オセロ』デズデモーナ役と、能『安宅 延年ノ舞』の山伏役も済み、やっと一段落、とまではいかない、約0.6段落しました。
本日は、文化庁承りの小学校巡回公演にて、神奈川県の二宮に団体バスにて向かっています。能は前回同様『黒塚』。私は、今回は地頭を勤めます。
そして、今週金曜日(11月30日)の夜能(宝生能楽堂)にて、能『殺生石』のシテを勤めれば、本当の一段落。今月は、遂に誕生日以外休みがありませんでした。自慢でもなんでもありません。ただ、仕事を仕事だと思わないでやっている向きがあるので、充実はしているのです。
もちろん家族とゆっくりしたいという気持ちはありますので、毎日極力早く帰宅して、家にいる日は必ず朝食だけは共にするようにしていますし、月4日ほどの自宅(飛鳥舞台)にてのお弟子さんの稽古日は、わずかの休憩時間に家族と犬のようにじゃれ合うのです。
数日前にやや体調を崩しかけましたが、何とか持ち直しました。『殺生石』に向けて、充実した舞台をお目にかけられるように精進します!
44歳に
44歳になりました。
お心のこもったプレゼントを頂き、心が温かくなりました。ありがとうございます。
今日だけは、何があろうと予め休みを死守していました。
朝から、運転免許の更新(ゴールドです!)に行き、帰宅してからは溜まった事務作業(殆ど進みませんでしたが)。
そして今週から月末にかけて、『大會』のシテ、『安宅』のツレ、『オセロ』のデズデモーナ、『殺生石』のシテ、と役が立て続けですので、それらに備えて近所の整体に行き、身体を整えて準備万端。
44歳も、身体を第一に考えて、良い舞台の為に頑張りたいと思います。
再び罪を背負って生きるのです
今朝、名古屋から帰宅し、昼食のみ妻と頂いたのも束の間、只今は川村学園女子大学に、2コマの授業の為向かっております。
最近、老いも若きも、本当にリュックサックを背負っている方が多くなりましたね。
2011年3月11日の東日本大地震の1週間後、私は即座にリュックサック(TUMI製)を買い求め、当時、東京芸大の助手をしていた為、スーツ姿にリュックで上野の森に通いました。
まだ当時は、スーツにリュックの組み合わせは極少数派で、能く違和感を指摘されましたが、なんのそので闊歩していました。
今となっては当たり前の格好。むしろオシャレなのでしょう。スマホが普及して、手が空くのが便利であることも一因のようです。
私自身は、助手の任期終了後はしばらくリュックは封印していましたが、最近心境の変化あり、再び陽の目を見ることになりました。
今日もスーツにリュック姿ですが、やはり楽ちん!7年ほど前のように、人から嘲笑されることもなくなりましたので、堂々としたものです。
TPOさえ気を付ければ、快適なリュック生活が再び始まり、なんだか足取りも軽くなります。
能『竹生島』
明年1月12日(日)、豊田市能楽堂主催「新春能」にて、能『竹生島』が上演されます。
シテは宝生流宗家・宝生和英師。ツレを私が勤めます。
このツレは、他流派の小書になると、ツレとシテが入れ替わるくらいの重要な役で、前ツレは前シテ(老翁)と共に若い女性として小舟に乗って現れ、実は弁財天の化身であることを明かし、シテに先立ち舞台上の宮の作り物に中入し(シテは幕へ中入)、宮の中で着替え、後半、後ツレの弁財天として本体を表し、「天女之舞(中之舞の変形)」を舞う、という、盛りだくさんの役。
いかにも新春らしい、めでたいショーのような曲。ぜひご来場下さい。
チケット(全指定席)は、既に販売を開始して、良い席から売れているようです。
チケットのお求めは、豊田市能楽堂ホームページまたは、当ホームページお問い合わせまで。
桐生稽古場始動!
群馬県桐生市広沢町にある、「伝統芸能研修所」。宝生流愛好家で篤志家の方がご自宅2階に建てた稽古舞台を、そのお孫さんが遺志を継承して移設された素晴らしい能舞台。
もう既に、「稽古舞台」ではなく、立派な「能楽堂」です。
中正面側から。
この舞台で、一昨日からお弟子さんのお稽古を月1回のペースでさせて頂くこととなりました。
長年桐生で稽古場を持つ葛野流大鼓方家元・亀井広忠師の鶴の一声によって、そのご社中が人数を集めて頂き、このような運びとなりました。
この地域(桐生・足利)で稽古場を持つことは、足利出身の妻との縁もあり、10年来の念願でしたので、亀井広忠師とご社中には、心より感謝しております。
当流名手の先達のご尽力によって、元々宝生流の盛んな地域ではありますが、更なる発展を心掛けて、大事に育てていきたいと思います。
折にふれてご紹介してまいります!