湯浅景介さん
信濃町の文学座アトリエにて、文学座研修生卒業公演『キル』(脚本・野田秀樹、演出・小林勝也)を観てきました。
イマダ/蒼い狼役の湯浅景介さん目当て。長身の美男子で、通る良い声と、姿形の良さ。
それもそのはず、彼は飛鳥舞台で能(仕舞・謡)の稽古もしています。
涌宝会(ゆうほうかい・私の主宰するお弟子さんの会)のお弟子さん方も、応援に駆け付けました。
役者さんだけあって、謡と舞の飲み込みもとても早く、今後も能の稽古を続けて、確立された一つの芸の基礎を持つと、骨格がしっかりして舞台の自信にも繋がるのではと考えます。
先が楽しみで、ぜひ良い芝居を見せて欲しいと思います。
今日の『キル』は、正直言って良くわかりませんでしたが、何だか面白かった。若い役者さん達のエネルギーを感じました。
この「良くわからないけど何だか面白い」というのが、良いですね。
今の世の中、何でも白黒つけてわかりやすくし過ぎるし、皆わかろうと頑張り過ぎるような気がします。
「頭で」わかろうとするから、少しでもわからないと拒否反応を示す。
展覧会で絵をろくに見ずに脇の解説を読むようなものですね。
能も然り。感じていただけたらと。
『キル』は、時間と空間の処理が、能の手法を連想させました。芝居小屋風の文学座アトリエの、緞帳や大道具が無いという、能舞台と同じ条件の舞台での必然でしょうか。
観客の想像に委ねなければならないわけです。
『邯鄲』の時空を越えた夢と現実の行き来、また、『黒塚』の作物などにも見られる空間の処理。
能が前衛的と言われる所以です。
台詞も、言葉遊びともとれる洒落の連続。七五調・古語でないだけで能も同じ(掛詞・縁語)です。
ただ、早口で、脳みそが掻き交ぜられている気がしました。「頭で」考える間を作らせないためかも(穿ち過ぎ?)。
能は逆に一文字ずつに節がついて、母音が出て聞き取りづらい面もありますが、旋律を楽しんでいただく為ですから許してくださいね。
実は同日、宝塚デビューを果たしました。能の表現とは対極にあるような宝塚。大変楽しみました。また後日。