いよいよ演能空間2

(続き)

それから30年。宝生英雄先生でしたら、私が能『松風』を舞うなど、とてもお許しいただけなかったことと推察します。

実はこの『松風』、宝生流では特に大事にしており、私の近しい先輩方どころか、60代、70代の先輩でも舞った方は少ないのです。

私自身も、何も働きかけなければ、月浪能・五雲能などの定例公演では一生舞うことがない可能性があります。

全てを自分一人(妻の協力もあり)で企画・運営し、雑務も全て自分でやり、赤字も全て抱え込む、という覚悟の「個人演能会」でないと舞えないと判断しました。

 

「何も(未熟な)今やらなくても」「分不相応」

 

と先輩方には思われていることでしょう。

しかし、それでも『松風』を舞いたいという強い意志のもと、進めました。

 

きっかけは2年前からのコロナ禍でした。最初の緊急事態宣言では、全く舞台出演が無くなり、また、お弟子さんの稽古もできなくなり、まず完全に無収入になりました。その後お弟子さんのありがたい助けもあり、オンライン稽古で稽古を続けていただくことで生活はなんとかなりはじめましたが、ショックを受けたのは、私よりも若い狂言方の善竹富太郎さんがコロナで亡くなったことです。これにより、直後に控えていた15周年の「涌宝会(ゆうほうかい。お弟子さんの発表会)」を中止し、その直後の「第7回 和久荘太郎 演能空間」も、チケット販売しておりましたがあえなく中止として、払い戻し作業に追われました。

 

富太郎さんが亡くなり、私自身も「死生観」を考えるようになり、「人間はいつ死ぬかわからない」という自分自身の覚悟を持ったのです。

決して「やぶれかぶれ」ではない、静かな死生観。60代、70代まで大事な曲のお役が付くのをただ待っていたのでは、舞いたい曲も舞わずに死んでいくかもしれない、だったら、批判を恐れずに自分主催の催しで責任を持って大好きな曲を舞わせてもらおう、と思いました。

(続く)