甲府稽古場


山梨県甲府市の稽古場、武田神社内「甲陽武能殿」です。
本式の、屋外常設の素晴らしい舞台で、観世流九皐会の当主、観世喜之先生の命名だそうです。
ここで年1回、地元出身で九皐会所属の観世流能楽師・佐久間二郎氏が薪能を催されて、毎年ご盛況のようです。
私の同門会・涌宝会では、現在4人のお弟子さんと楽しく稽古しています。
月1回、曜日不定です。
その内お2人は、月1回では飽きたらず、東京の自宅稽古場にもお越しいただき、計月3回稽古なさっています。
実は私、この近辺には縁があり、甲府市隣の韮崎市の病院で生誕しました。
当時我が家は横浜在住でしたが、頻繁に「おじいちゃん・おばあちゃん」に会いに行くものですから、すっかりおばあちゃん子になってしまいました。
祖母が甲府の駄菓子屋によく連れて行ってくれました。
都会育ちのため、山梨は私の田舎、という感覚があり、今でも祖母や叔母もおりますので、里帰りするような懐かしい気持ちで、月1回稽古に参っています。
山梨県で、能の稽古をなさりたい方、ぜひ一度稽古風景をご覧にお越しください!
お問い合わせは当ホームページまで。

リュックサック

最近、リュックサックを愛用しています。しかもスーツやジャケットスタイルに。

店員さんにたずねましたら、震災以来、やはり売れているようです。自転車通勤に切り替えたり、いつでも逃げられるように、ということでしょうか。

僕は別の理由で、実は長年腰痛に悩まされてきましたが、ここ数ヶ月症状がひどくて、片手で長時間重い荷物を持つのがつらく(むしろ両手に持ちたい)、ランドセル以来ですが背負うことにしました。

背負ってみると、あら楽ちん。傘もさせるし、さらに荷物を持てる!いや、それは悪循環だからやめておこう。
しかし、着物一式が入るくらいの大容量のを買ったので、普段持ち歩かなかったものまでどんどん詰め込んでしまって、結局腰に来ているかも。

さすが、米国TUMI社のカバンは機能的。ポケットが充実していて、どこに何をしまったかわからなくなります(どっちなんだか)。

さる御方には
「トゥミ(罪)を背負っているのか」
といわれ、それいただき。

とても気に入っていますがたったひとつ不満は、「着物に合わない」こと。
スーツにリュックは増えてきましたが、さすがに着物にリュックは…。
背負いたければ、やはり風呂敷でしょうか…。
着物が楽で好きですが、外に出歩くことは少なくなりました。

『雲雀山』も済んだし、この辺で気合いを入れて腰を治します!

次回シテ予告

 昨日は、五雲会に多数ご来場賜り、誠にありがとうございました。
皆様のご声援のお陰で、『雲雀山』、何とか勤めることができました。
次回のシテは、『鵺(ぬえ)』を8月5日(金)「NOHーAGE」という、宝生和英宗家主宰「和の会」主催の催しにて勤めさせていただきます。東急セルリアンタワー能楽堂にて、20時開演。『鵺』一番のみです。
源頼政に退治された、異形の怪物「鵺」が主人公。前半は不気味な雰囲気ですが、後シテはちょっと哀れ。頼政の矢に射られて、淀川に流される様を、仕方話(一人二役)と舞で表現します。
今回の『雲雀山』とは、全く違う曲種です。能楽師は、様々な役になれるので面白いですね。たまに憑依してしまうこともありますが…。
チケットは、当ホームページにて承ります。
皆様、どうぞご予定下さいませ!

当麻寺練供養会式

23.5五雲会番組
 予報に違わずここ数日は卯の花朽たしが降り、雨に濡れた青葉がむんむんと若い匂いを振り撒いています。
いよいよ明日は五雲会。久しぶりの晴れ間が見えるようです。
私の『雲雀山』は、15時20分から16時35分の予定ですが、折しも奈良の当麻(たいま)寺では、同日同時刻に「練供養会式(ねりくようえしき)」があります。
「練供養会」は、一度往生を遂げた後に現世に里帰りしていた中将姫(『雲雀山』では子方の役)を、25人の菩薩が迎えに行き、再び極楽へ導く様を再現する、とのこと。
読経が始まると、100メートルの木の渡り廊下(来迎橋)を、金色の仮面の菩薩が、体を左右にゆっくりスイングしながら娑婆堂の中将姫の像を迎えに行き、手にした蓮華座に像を載せて、再びスイングしながら極楽堂に帰る、というとても優雅な儀式です。
一度は見に行きたいと思っていましたが、まさか自分の『雲雀山』の演能の時間と重なるとは!これも何かの縁と思い、ありがたく勤めたいと思います。
この当麻寺の名前そのままの『当麻』(宝生流では「たえま」と読む)という曲があり、後シテが中将姫の霊。宗教色が濃い荘厳な曲で、難解で高級なためか、あまり上演されません。
中将姫を扱った曲は、この『当麻』と『雲雀山』2番のみ。
中将姫の伝説はさまざまあるようですが、能にならうと、横佩右大臣豊成公(藤原豊成。不比等の孫)の娘として生まれ、継母に疎まれ、讒言によって雲雀山で殺されそうになりますが、家臣と乳母によってかくまわれ、豊成公の狩りの際に偶然引き合わされ、都に戻ります。その後16歳で得度して、当麻寺に出家します。ほかの伝説によると、その後雲雀山に戻って亡くなったそうです。
数奇の人生を歩んだ女性、中将姫。その儚さ・不憫さは、『雲雀山』では、子方が勤めることによって、さらに増幅されます。
私が明日勤めるシテはその乳母。なぜ侍従に焦点を置いたか。ほかの狂女物には類がありません。
その姫に対する忠誠心と、母をも凌ぐ母性の静かな『強さ』のようなものを、表現できたらと思います。私の年齢では、柔らかくなど、なかなかできないのですから。
明日、ご多忙と存じますが、ご都合よろしければぜひお運び下さいませ。皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

夕顔

先日5月7日のブログ「卯の花」で、梅雨の走りのお話をしましたが、今日の天気予報によると、本日火曜日より金曜日まで、梅雨の走り、すなわち「卯の花腐し」が降るそうです。
台風になる可能性もあるとのこと、卯の花は散り落ち、梅雨本番を経て季節は夏に向かって行きます。
気温も急上昇して、蒸し暑くなるとのこと。
さて、気が早いかもしれませんが、今夏に向けて節電対策が色々提唱されていますが、みなさんのご家庭ではどのような対策をお考えでしょうか。
とりあえず我が家では、敷地面積的にはとてもグリーンカーテンまでにはなりませんが、大きい鉢に「夕顔」の種を蒔いてみました。植物を育てることで、周囲はかなり涼しくなるようですから、多少の貢献はしてくれることでしょう。
夕顔と言えば、宝生流では明治の家元により廃曲になりましたが、そのものずばり『夕顔』という曲があり、観世・金剛・喜多で現行曲になっています。
おそらく、類似曲に『半蔀(はしとみ)』があるので、廃曲になったと考えられます。
『半蔀』は可憐な小品。シテは源氏物語の中の儚い女性「夕顔」なのか、それとも夕顔の花の精なのか、最後まではっきりしません。
作り物が秀逸。半蔀屋に蔦を絡ませ、夕顔の花や瓢箪を付けて、中にシテが入り、もの寂しい風情。曲の中盤、蔀戸を押し開けてシテが作り物から出て、クセと序ノ舞を舞います。
夕闇にぽっと白く咲く大輪の花を楽しみに、小学生のように毎朝水やりをしています。

卯の花


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妻の実家の庭先で、季節はずれの雪かと見紛うほど白く咲いていた、「卯の花」です。

 

その名の通り、旧暦の卯月(現在の5月頃)に咲く花で、今月14日の五雲会にて勤めます『雲雀山』にも、

「頃を得て。咲く卯の花の杜若」

と謡い込まれています。

「卯の花の垣(垣根)」と「杜若」が掛かっています。

 

他曲では、

『杜若』のキリ(終曲部分)、

「袖白妙の卯の花の雪の」

 

『六浦(むつら)』のクセの中、

「咲き続く卯の花の垣根や雪に紛うらん」。

 

また、『歌占(うたうら)』のキリに、

「時しも卯の花くだしの、五月雨も降るやとばかり」

とあります。

 

「卯の花くだし」は、「卯の花腐(くた)し」や「卯の花朽たし」または、「卯の花降し」とも書き、文字通り卯の花を腐らせる程の長雨、つまり五月雨(梅雨)のこと。

正確には、「梅雨の走り」または、「走り梅雨」と言って、梅雨の前の一時的な長雨のことを指します。時期は、5月中旬から梅雨入りにかけて。

年によって、梅雨の走りがある年と無い年があるとのこと。

さて、今年は梅雨の走りはあるでしょうか。



『歌占』、本年7月16日の五雲会にて、シテ・今井泰行師、私はツレを勤めます。

突然死して地獄を見て生還して以来、白髪になってしまった占い師の男(シテ)が、偶然に生き別れた息子(子方)と対面し、地獄の曲舞(くせまい)を舞って見せます。

私は、その子供を伴い諸国を歩く男の役で、ワキ方(脇役専門の役者)が勤める流儀もありますが、宝生流ではツレ(シテに準ずる役)で、我々シテ方が勤めます。




能に触れていると、コンクリートに囲まれた現代に生きていても、僅かな季節の移ろいを謡と共に感じることができますね。

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子供の日。我が家の兜です。源義経所蔵のを模したもので、なかなかよく出来ています。
能『八島』の後シテ、源義経の霊が合戦の様を表す場面で、
「潮に映るは。兜の星の影」
という文句があります。
兜の「星」とは、この写真でもはっきりと分かりますが、頭頂部を中心にたくさん埋め込んである、鋲のこと。
「影」は古語では、現在とは逆の意味の「光」のことなので、海面に兜の星の光がキラキラと反射している映像が見えてきます。勝修羅物らしい、爽やかな表現だと思います。
能(当流)では、右手に太刀、左手で扇の骨を持ち、額の前に持ってきて、下(おそらく海面)を見込みながら「影」で左足拍子を一つ強く踏みます。
ちなみに、兜のてっぺんには、「八幡座(はちまんざ)」という、穴が空いています。軍神である八幡様が鎮座まします場所。
「八幡様」は、義経の祖先、源(八幡太郎)義家を軍神として崇めた呼び名。京都石清水八幡宮にて元服したことに由来します。
武士は、この八幡座に神が宿るとして、絶対にこの穴に指を入れなかったそうです。
私は、出し入れの際に持ちやすそうなので思わず入れたくなりますが、ぐっとこらえます。
うちの子供達も、わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい(古い)と思います。

草花の枝

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5月14日(土)五雲会(宝生能楽堂)にて勤めます、『雲雀山』の後シテが持つ、草花の枝です。
シテ・侍従の乳母は、春の草花を手折り、里へ下りてこれを売ることで、中将姫を養います。
今回、自ら作成しました。
根津神社のつつじを見に行った際に、近くに造花屋さん「華工芸」を見つけ、ふと思い立って、和花を求めて中へ入りました。
店主に聞くと、和花はあまり出ないので、種類は置いていないとのこと。
それでも、浅草橋の問屋街にも負けないほど、出来の良い和花が置いてありました。
このように毎回作る訳ではありません。普通は、宝生会のお蔵に常備してある物を使わせていただくのですが、実は、現在水道橋の宝生会で使っている草花の枝も、内弟子時代の15年程前に私が作ったもので、当時は、「見た目」を重視してしまったために、かなり重くなってしまい、以後『雲雀山』を舞う方には、つらい思いをさせてしまいました(まさかそれを自分が使うことになるとは夢にも思わず)。
今回のコンセプトはもちろん「軽さ」。最近の造花には、細くとも芯に針金が入っていますので、それがたくさん集まると思ったより重くなるのですが、工夫をして、軽量化に成功しました。
形状も、前作は遠目に見ると、棒の先に花丸がついたような、チュッパチャプス型だったのを、花束型に改良。
さて、これが舞台上でどのように見えるか。
全ては芸次第、という声も真摯に受け止めて、稽古に励みます。

根津神社・つつじ祭り

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5月14日、宝生能楽堂にて勤めます『雲雀山』の地謡に、
「また躑躅(てきちょく)は夜遊の人の折を得て、驚く春の夢の内」
という一節が謡い込まれています。
「てきちょく」とは、文字通り、つつじの音読み。夜でも躑躅の紅さはポッと際立っていることを表しているのでしょう。
写真は、根津神社のつつじ祭りの様子。見頃です。驟雨に見まわれました。
東京一の躑躅の名所。意図的に、早咲き・遅咲きの躑躅が植えられているようで、写真でわかるように、全てが一斉に咲いているわけではありません。
5月5日までとのこと。まだまだ楽しめます。花に勝るとも劣らない団子も。

ドクターイエロー

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ただいま新幹線で名古屋に向かっていますが、東京駅ホームに偶然、ドクターイエローが入ってきました。
頻繁に新幹線に乗っていますが、初めて間近に見ましたので記念撮影。
電車オタクではありませんが、童心が騒ぎました。