夢になりとも見えたまえ

18年前に他界した父に、久しぶりに逢いました。

 

父は当たり前に元気でした。しかし、いきなり「旅に出る」と。止めるのも聞かず出て行こうとしましたが、「これを」と私の手に託されたのは一頭の小さい「亀」。

その亀は元気いっぱい、私の手を降りてカサカサ逃げ回りました。

その亀を再び捕まえて飼い始めるところで、夢は覚めました・・・。

 

なんだったのでしょうか。夢占いではどう判じるのでしょうか。

 

能『清経』の、清経の妻(ツレ)を代弁した地謡の言葉に

 

「夢になりとも見えたまえ」

 

とあります。そのように思ったことも度々あります。まだ生きていれば77歳。孫の成長を見られただろうに。

18年間、朝な夕な、家族全員がお仏壇に手を合わせています。父は何を言いたかったのでしょうか。

 

 

能『清経』の平清経の幽霊(シテ)が、妻の夢の中に登場するときの言葉には、小野小町の和歌を引用して、

 

「うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものは 頼みそめてき」

 

とつぶやき、現世の妻に呼びかけます。

 

 

今年、奇しくも能『清経』のシテとツレの両方を勤めます。お互い、愛し合っているが故になじりあうのです。私は、両方の気持ちがよくわかる気がします。名曲です。