発声許可!
お見舞いに頂いた美しい花と共に。このように元気にしております。
本日、再度診察があり、発声許可が出ました!
と言っても、
1時間に5分間程度。
朝10分間・昼10分間・夜10分間。
1日に30分間。
「おはようございます」などの挨拶から初めて、ウッカリ喋ってしまうことも換算して、ほんの少ししか話せません。
もちろん謡や、大きな声は厳禁。
静かなところで近くで聞こえるくらいの普通の大きさで、とのこと。
ささやき声はかえって良くないようです。
さて、早速、そーっと声を出してみると、しわがれ声。仕方ないですね。
徐々にリハビリしていきます。
声帯ポリープの原因
本年、大厄の年(数えで42歳)ですので、年明けに厄払いに参りましたが、それでもやはり身辺色々あります。
これ位で済んだ、と考えるべきでしょうが、身体の変わり目ということでしょうか。
声帯ポリープに関しては、よくよく思い起こせば、ここ2年くらい裏声が出にくくなったとは感じていました。
能の謡では、裏声は一切使いませんが、得意だった目玉のおやじ(ゲゲゲの鬼太郎)の物まねの声がかすれてきたのです。
昨年11月末の広忠の会における能『井筒』は、分不相応なお役を頂戴しましたので、時間をかけて精魂込めて稽古に打ち込みました。しかし、本番一週間前の申合せが済んだあたりから重い風邪をひいてしまい、声が出にくい状態での当日までの稽古でかなり喉に負担をかけていました。
どうもこのあたりから、声のスタミナが無くなってきて、枯れやすくなり、また、謡った後に疲れを感じるようになっていました。
また、声の伸びが悪くなってきたことと、宝生流で多用する「甲グリ(カングリ)」という高音を出すのに、以前よりも息の圧力が必要になってきたので、これはおかしいと思い、普段通っている耳鼻咽喉科を受診したら、声帯ポリープであることがはっきりして、山王病院を紹介されました。
この病院は、耳鼻咽喉科とは別に「ボイスセンター」という、発声専門の科を擁していて、後から分かりましたが、東京在住の能楽師の多くがここで手術を受けていました。能楽師のみならず、著名な歌手・芸能人・声優・オペラ歌手なども大勢受けているようですので、それを聞いて、安心して手術を受けることが出来ました。
さて、ポリープが出来る原因ですが、喉を締める悪い発声が原因ということがまことしやかに言われます。
しかし、色々調べたり、医師のお話しをうかがうと、喉を開いて発声するオペラ歌手などでもポリープが出来ることからもわかるように、「喉を締める発声が悪いから」ということが原因の中心では無いそうです。
ポリープができやすい「体質」ということはあるようですが、あくまでも「酷使」が原因。
聞けば聞くほど、能楽師でも囃子方、狂言方、シテ方他流問わず、結構私より若いうちに同じ手術をした方も沢山いらっしゃることがわかり、色々な方にお話を伺うことが出来て、励まされました。
中でも、当流の先輩、金森秀祥氏には親身で懇切丁寧なお話をうかがい感謝しております。
「厄年」に手術を受けている方が多いのも不思議。歳の変わり目で、今まで通りにはいかないということでしょう。
自らを鑑みれば、毎日、朝起きて登校前の子供の稽古の後、自分の稽古。その後ひねもすお弟子さんの稽古を全力・フルボイスで発声していたのですから無理もありません。
今後は、本番の舞台以外は「ちょっとだけ」加減しようかと考えています。お許し下さい。
手術 無事
昨日のブログにては、皆様を思いのほか驚かせてしまったようで、大勢の方から優しいお言葉を頂戴しました。
この場を借りて御礼申し上げます。
さて、今朝、妻の付き添いのもと、声帯ポリープの切除手術は無事成功して、酸素マスクと点滴の物々しい装備の中、母や子供達も見舞いに来てくれて、夕方点滴も外され、晩御飯も美味しく頂きました。朝・昼と制限があり食べられなかったので、病院自慢のご馳走が更に美味しかったこと。明日退院の予定です。
昨夜は、あまりよく眠れませんでした。手術なんか怖くない、と思っていたのですが、どうも深層心理は違ったようで・・・。
朝起きて寝ぐせを整え(看護師さんを意識?と妻)、手術着に着替え、いざ徒歩にて手術室へ!
手術台に上り、点滴が始まり、「和久さーん、眠くなってきますよー」と言われて、私の中の天邪鬼が、「絶対に起きててやる。寝るもんか」と考え、頑張っていたのですが、思わず「どうしよう、眠くなってきちゃいまし・・」とまで口走った記憶があり、そこでおそらく爆睡。
さて、一炊の夢(邯鄲)とはよく言ったもので、体感時間3分も経たないうち(実際は約1時間)に「和久さーん、手術終わりましたよー」と声がかかり、思わず、「えっ、もう手術終わったんですか!?」と大声で喋ってしまって、「和久さん!喋っちゃだめですよ!」とたしなめられる始末。
そう、この病気は、手術後絶対に喋ってはいけないのです。私の場合、完全沈黙は手術後3日間。その後は、1日30分程度の発声許可が出て、10日後から日常会話は短時間ならば可能(本業の謡は3週間後から)。
そうとは分かってはいたのですが、無理無理。
夕方の診察でも、看護師さんに話しかけられて、普通に受け答えしてしまい(思い返せば看護師さんも普通の反応)、ハッと気付いて、
「あっ、喋っちゃった!」
と、また更に喋っちゃいました。
しかし、意外と声は出るということが図らずも確認できて、内心安心。
ところで、ここだけの話、私は日常、寝言が多いらしく・・・(家族談)。古人の教え通り、寝言は寝てから言うようにしているのですが。
しかも大声。能の謡を謡うことも。
そのことを担当医にご相談したら、笑われて、「それはどうしようもない」とのこと。
今晩、寝るのが不安です・・・。
散歩コース
我が家は、東京都内でも下町。ご近所さんも良い方ばかりで、温かく見守られながら生活しています。
子供達を連れてお決まりの散歩コース。
新名所・鴨台観音さざえ堂。大正大学構内にあります。
この後、「庚申塚」という地名由来の小さい神社、「猿田彦神社」にお参りして、かの有名な巣鴨地蔵通り商店街へ。
よくテレビでご年配がインタビューを受けていらっしゃいますね。
「4」の付く日は縁日の日。大勢の人で賑います。
そして、最後はとげぬき地蔵にお参りでゴール。
プロフィール写真変更
当ホームページの、【プロフィール】内の写真を更新しました。
前の写真は、平成21年撮影の物で、まだ6年しか経っていないのですが、どうも数年前から、
「別人じゃないか」
とか、
「若いときの写真を使うなよ」
などと言われるようになってきたため、内心は「変わらないじゃないか」と思いながらも、40歳になったことですし、先日写真を撮り直しました。
すると、やはり自分でも「老けたな」と。前の写真は顔がツルっとしていました。
目の光に、強さと若さと(根拠のない)自信のようなものが見えます。恥ずかしや・・・。
まあ、最近は多少貫録がついたということにしてください。
センター試験(国語)を解いてみた
去る1月18日に新聞に掲載された、センター試験の国語を、試しに解いてみました。
結果は惨憺たるもの。現代文は辛うじて8割正答しましたが、古文と漢文ちんぷんかんぷん。
仕事上、日常的に他の方よりは身近に触れているはずなのに。不甲斐無さに悔しさを通り越して悲しくなりました。
こんな難解な文章を読み解くことが出来るならば、能の文章など訳もないはず。受験生には、受験が済んで晴れて大学生になったら、能を見に来たり(大抵の催しでは、学割があります)お稽古することをお勧めいたします(うちは学生さんが大勢いますよ)。
私も24年前にセンター試験を受けました。当時、共通一次からセンター試験に変わってすぐの時。東京芸大の音楽学部邦楽科は、国語と外国語のみの受験で、高1の終わりに芸大を受けると決めてからは、その他の科目には見向きもしませんでした。
その代わり、「音楽学部」邦楽科なので、楽典の試験もあります。これが大変。移調や転調などは、ピアノなどを弾ける方は感覚的に解答できるのでしょうが、私には無理なので、数学(算数?)的に解答の訓練。子供の頃、一応エレクトーンを習ってはいたのですが…。
暗記が頼りの楽語(「モデラート」「クレシェンド」など)だけは、せめて満点目指して、単語帳を使って必死で暗記。
もちろん、そのほかに専門の実技試験があります。一次は課題曲の謡と仕舞。二次は自由曲(受験者が決めて、予め学校に報告する)に分かれていて、その後面接も。
奇跡的に何とか無事現役で合格しましたが、今回のセンター試験の結果では、今受験したら無理でしょう。
全国の受験生の皆さん、風邪などひかないよう、睡眠だけはしっかりとって、受験当日に最高の力を出せるようにしてください。あと少しです。
名古屋涌宝会謡初
以下は、舞台写真の数々。
素謡『鶴亀』と『猩々』は、全員無本(謡本を見ない)にて謡いました。
素謡『鵜飼』と『加茂』は、本年6月6日(土)10周年記念涌宝会大会(於・宝生能楽堂)にて能のシテを勤める方が、それぞれ無本にて臨みました。素晴らしいですね。
終演後、岡崎城内の八千代本店にて、名物の菜飯田楽のお食事会。
10周年を迎え、当会もやっと会らしくなってきました。
東京涌宝会謡初
本日、飛鳥舞台(自宅舞台)にて、東京涌宝会の謡初を催しました。
シテ 和久八重子
ワキ 和久凜太郎
地謡 会員全員
全員が無本(謡本を見ない)で地謡に臨みました。
他にお目出度い曲の素謡3番。
終演後、向かいの大正大学のレストランで、フレンチの懇親会。
楽しいひと時を過ごしました。