メガネ男子
あまりプライベートは出さないできたのですが、たまには・・・。
小学4年生にしてメガネくんになってしまいました。授業中だけ使うとのこと。
私自身は、高校1年からでした。もちろん、勉強のし過ぎ(いえいえ、ファミコンのやり過ぎ)。
当時、少しショックだったのを覚えています。
凜太郎は、台風の中喜々として眼鏡を作りに行きました。
それほどいやではないようです。
きっと、父親が普段眼鏡をかけているから、憧れていたのでしょう(?)。
来月は、親子で能『海人』を勤めます。
名古屋涌宝会謡初(平成28年)
先日1月31日(日)、花朋会敷舞台(愛知県岡崎市)にて、名古屋涌宝会謡初を致しました。
〈番組〉
【素謡】
『鶴亀』 シテ 藤原宇春(代役)、ワキ 槇本美保
『清経』 シテ 鷲野健、ツレ 和久荘太郎(代役)
『紅葉狩』 シテ 黒田淳子、ワキ 岡田真理
【連吟】
『胡蝶』 鈴木裕一郎、和久荘太郎
【仕舞】
『鶴亀』 大矢真梨子
『草紙洗』 上出遥香
『玉葛』 藤原宇春
『嵐山』 山崎藍
『杜若キリ』大河内彩来
『杜若キリ』柴田美穂子
『箙』 黒田淳子
『敦盛キリ』松本海音
『猩々』 酒井今日子
『清経キリ』鷲野健
『経政クセ』佐藤まりな
『山姥』 岡田真理
『忠度』 菊池尚希
【独吟】
『胡蝶』 代田千惠子
【舞囃子】
『桜川』 シテ 岩﨑梨音、笛 山崎藍、小鼓 大矢真梨子、大鼓 上出遥香、地謡 藤原宇春、大河内彩来
【素謡】
『百萬』 シテ 和久荘太郎(代役)、ワキ 菊池尚希
『敦盛』 シテ 柴田美穂子、ワキ 松本海音
『猩々』 シテ 酒井今日子、ワキ 佐藤まりな
終演後、岡崎城内の菜飯田楽の老舗「八千代本店」にてお食事会。
また絆が深まりました。
久良岐能舞台 宝生流講座謡初
先日1月21日に、私が指導している久良岐能舞台(横浜市)の宝生流能楽講座の、謡初を致しました。
稽古日の一回を使って、特別に。
素謡3番、仕舞2番、独吟1番。
写真は、素謡『忠信』の様子。
ここの講師を担当させていただき、早3年目。
ここの稽古場も、お人柄の良い方が揃っていて、私は恵まれております。
常に受講生(生徒)を募集しています。
詳しくは、こちら(久良岐能舞台ホームページ)をご覧ください。
甲府涌宝会謡初(平成28年)
1月15日(金)甲府涌宝会謡初を催しました。
【番組】
素謡
『鶴亀』
『羽衣』
『鞍馬天狗』
『猩々』
写真は、『鶴亀』。やはり無本です。
会場は、武田神社敷地内の「甲陽武能殿」という、本式の能舞台ですが、屋外設置の為、寒さで止むなく楽屋にて催しました。
終演後は、甲府駅至近の「SADOYA(サドヤ)」というレストランで昼食会。
楽しいひと時です。
飛鳥舞台謡初(平成28年)
去る1月11日(成人の日)、恒例の飛鳥舞台謡初を催しました。
【番組】
素謡
『鶴亀』
『経政』
『熊野』
『海人』
『猩々』
写真は、全員による、素謡『鶴亀』。無本(謡本を見ない)です。息子と娘も参加。
数年前から、涌宝会(ゆうほうかい。私の同門会)では、『鶴亀』と『猩々』だけは、出来るだけ無本で謡いましょう、と提案し続けて、徐々に皆さん無本に対して抵抗が無くなってきた(私に対して抵抗できなくなってきた?)のではないかと思います。
今回は、新しいお仲間が5名増えて、年々賑やかになってきます。
終演後、家の向かいの大正大学内、プリンスホテル経営の「鴨台食堂(おうだいじきどう)」個室にてフレンチの懇親会。
和気藹々とした、良い会になりました。
能楽研究部(名東高校)
可愛い教え子たち。名古屋市立名東高校・能楽研究部員です。昨年度まで2名だったのに、今年度6名が加わり9名となりました。
ドイツからの留学生が1名、残念ながら帰国してしまい、現在8名。
一昨日1月9日(土)、愛知県高等学校文化連盟の日本音楽部門発表会にて、舞囃子『桜川』を上演しました。
シテ(主役)はもちろんのこと、地謡(4名)と3つの楽器(笛・小鼓・大鼓)も全て高校生のみで。
これは、何気ないようでいて、実はとんでもなく素晴らしいことなのです。
舞囃子の時は、仕舞とは違って、地謡は囃子とのリズムに合った臨機応変の謡い方(囃子謡)を習得しなければ、リズムが崩壊して演奏を続けることはできません。
楽器は、謡が謡えなければ囃すことはできませんので、謡の猛特訓から。
もちろん、シテも、舞囃子は仕舞とは比べものにならない長さの舞ですから、謡を熟知していなければ十分に舞うことはできません。
それらを9月からの短期間で全員見事に習得しました。
審査結果は、「優秀賞」!おめでとう!お疲れ様でした。
全国大会出場権は逃しましたが、現時点での最高の演技でした。
きっと、一生の思い出になることでしょう。
3年生2名は、これで卒業ですが、また落ち着いたらきっと能の稽古をしたくなることでしょう。
残る6名の新3年生と新2年生は、4月から新入部員を大勢入れて、今度は太鼓の入った曲に挑戦しましょう。
私のお正月
皆さまお健やかにお正月をお迎えのことと思います。
本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
大晦日は、少し成長した子供たちが、初めて年越しに挑戦。しかし、眠気には勝てず・・・。
夫婦のみで「紅白歌合戦」、「ゆく年くる年」という、古来より伝わる日本の年越しの儀式を執り行い、穏やかに2016年を迎えました。
起床して、お仏壇と神棚に拝礼し、一家揃いお屠蘇とお雑煮・お節料理を前に、ここは家長の威厳を、と年初めの慣れぬ訓辞を垂れ、お屠蘇を軽く頂いたら、朝一番の空きっ腹に効果てきめん。面はめでたき猩々のごとし。
まだ朝の冷気が立ち込める三階の能舞台に上り、一家4人にて(妻と娘も)我が家での謡初めを『鶴亀(月宮殿の白衣の袂)』にて厳粛に行いました。
来年は、お屠蘇の前に謡初めをしよう、とちょっと後悔。宴会芸のように、いい気持で謡う癖が付いてしまいそう。
届いた年賀状を眺めていると、もう良い時間。宝生能楽堂にての謡初めに向けて、紋付・羽織・袴の正装にて威儀を正し、凜太郎を連れていざ水道橋へ。
恒例の元旦の儀式で、東京の宝生流職分が長老から子方まで一堂に会し、本舞台にて家元の発声により、宝生流小謡「七宝」を同吟して、新年の舞台を開きます。
その後、新年会にていよいよ本格的な飲み正月を迎え、普段は厳めしい人も、この時ばかりは笑顔を絶やさず明るく、明るく。
凜太郎が、子方仲間の野月惺太くんとちょろちょろ動き回って悪戯をしようとも、明るく、明るく。
気持ち良く帰途につき、さて、私はこの後がいよいよ佳境。一家を連れて、妻の実家に向かいます。
めでたく100歳を迎えた妻の祖母を中心に、親戚が約30人集まります。
10人を超える子供たちを一列に並べ、「お年玉の儀」を執り行うさまは少子化ニッポンを忘れさせます。
みな年毎に大きくなり、楽しみ、楽しみ。
私も婿とて11年が過ぎ、下にも置かない歓待に恐縮しながらも、一員として漸く馴染んできたかな?
義理の兄が用意してくれたくじ引きでは、みな大はしゃぎ。凜太郎は、さすが(?)能役者、大仏のお面(能面ではない)を当てて大ウケ。その文字通り仏頂面のお面を付けて、親戚一同記念撮影。
子供たち皆、この日この時を永く覚えていてほしいと思います。
国宝・鑁阿寺へ徒歩にて初参り。昨年本厄を無事(声帯ポリープ切除手術がありましたが、「それくらいで済んで良かった」と)過ごして、後厄を揃って迎える和久夫婦は、昨年の御札をお焚き上げして、最後の厄年を無事乗り越えられるよう護摩の秘法を受け、鑁阿寺名物「いもフライ」を賞味し、足利の正月を満喫しました(まだまだ序の口)。
昨年に引き続き、厄年の今年は新しく事を起こさず、心を平静に保ち、身体をいたわり、無理をせずに過ごします。心ない世の人は、所詮他人事(ひとごと)ですからこれを「老成」と揶揄しますが、そうではなく、そういう「雌伏」の時期を迎えている、と考えています。
その代わり、厄が明けたら・・・。
鹿児島国民文化祭にて
昨日(11月4日)、鹿児島国民文化祭にて、「能楽の祭典」があり、宝生和英宗家による能『船弁慶』が上演され、凜太郎が子方を勤めました。
写真は、楽屋にて装束を着けた様子。9回目の『船弁慶』子方です。
凜太郎は、生まれて初めて飛行機に乗り、「墜落したらどうしよう」と縁起でもないことを言い続け、周りの乗客を不安にさせました(正直に言って、私自身も飛行機が得意ではありませんので、気持ちは大変よく理解できるのですが・・・)。
終演後、教授嘱託会による懇親会に招かれ、皆様から余りあるお言葉でお褒め頂きました。私は、ステージパパかマネージャー状態。「和久凜太郎の父」と自己紹介しました・・・。
舞台復帰
先月3月23日からの休業宣言から約1か月が経ち、先日4月26日(日)、面を掛けた能役者としての舞台復帰を果たしました。しかも新作能『オセロ』のデズデモーナ役で。
今から約1か月余り前の3月24日に声帯ポリープ切除手術を受け、10日間の沈黙療法を経て徐々にリハビリをしておりました。
その後、時間制限付きの発声許可が出ましたが、日常会話のみの許可で、本業の「謡」の発声許可が出たのは手術後ちょうど3週間後の4月15日。この日は、自宅舞台にて終日お弟子さんの稽古日にしており、おそるおそる、加減しながら、お弟子さんの稽古というよりも、自分の発声練習のようで、なんだか申し訳ないようでした。
ガサガサ声で、まだ感覚が掴めなくて、一抹の不安がよぎりましたが、その後、日ごとに快復。気持ち良いように謡の声が出始めました。
現在、まだ完全なる本調子ではありませんが、毎日謡うのが楽しみになっています。
自らの声の調子を測るのに、手術前から謡っているのが『羽衣』のキリ(「東遊びの数々に」~最後)。音高の幅が広いのと、息を出し続けて歌わなければならないので、自分のその時々の調子を測るのに最適だと思います。手術当日の朝、手術着に着替えてから病室で謡ったのですが、その時よりも、今は明らかに楽に発声出来ています。
特に、宝生流が多用する「カン(甲)グリ」という最高音を出すのに、無理な圧力が必要無くなりました。
今後の主な舞台出演予定は、
色々な会で珍しい曲の地謡の役が続き、5月中旬には伽羅の会(笛方・八反田智子師社中発表会)にて舞囃子『海人』を舞い、名古屋での新しい企画の「謡講」の催しにて素謡『藤』を独吟でまるまる一曲、そして6月6日(土)には、10周年になる私の社中の記念発表会があり、番外にて一調『東北』(大鼓・亀井広忠)を勤め、6月20日には能『八島』のシテを勤めます。その一週間後には佳名会・亀広会(亀井忠雄師・広忠師社中会)にても舞囃子・地謡を勤め、7月には家元に一週間随行してイタリア・ミラノ万博ジャパンデーの出演。
これだけ並べてみたのは、別に自慢でも不満でもなくて、舞台復帰後、こんなに立て続けに舞台の機会があって、心から嬉しく思っているのです。
しかし、考えるにつけても、このタイミングで手術を受けて、本当に良かった。
また一から頑張ります!