七城 雅さん
この度、宝塚音楽学校を卒業された、「七城 雅(ななしろ みやび)」さんです。
元は、私が指導する名東高校能楽研究部員で、2年生から宝塚音楽学校に転校し、2年間の学校生活を経て、同期の能楽研究部員と同じ年に卒業となり、上の葉書を私のもとにご丁寧に送ってくれました。
宝塚の試験では、「鞍馬天狗」の謡を披露したとのこと。きっと試験官の心を動かしたことでしょう。
4月から5月にかけて、初舞台の公演がありますので、なんとしても、日帰りで観に行きたいと思います。
背の高い美人で、これはきっと売れますよ!皆さん、お名前を覚えておいて下さい!
史跡「殺生石」
私の授業を受けている川村学園女子大学の学生さんが、明後日11月30日(金)夜能にての、能『殺生石』の鑑賞前に、実際の那須野に存在する、史跡「殺生石」を撮影してきてくれました。
後ろに見える、注連縄を張った石が、「殺生石」。
「殺生石」のアップ写真。
私も、『殺生石』を初演した9年前に参りました。今回も行きたい気持ちは有ったのですが、時間か取れず断念したところでしたので、雰囲気を伝えてくれて嬉しく思います。
「殺生石」は、近寄る人や生き物を殺してしまう呪いの石として伝わります。
今も、温泉地とて、火山性の亜硫酸ガスなどが微量ながら噴出していて、その量が多い日は、立ち入りを禁じられることもあります。
その石の前には、荒涼とした賽の河原が広がります。ここに、玄翁は訪れ、怪しい女と会話を交わすのです。
桐生稽古場始動!
群馬県桐生市広沢町にある、「伝統芸能研修所」。宝生流愛好家で篤志家の方がご自宅2階に建てた稽古舞台を、そのお孫さんが遺志を継承して移設された素晴らしい能舞台。
もう既に、「稽古舞台」ではなく、立派な「能楽堂」です。
中正面側から。
この舞台で、一昨日からお弟子さんのお稽古を月1回のペースでさせて頂くこととなりました。
長年桐生で稽古場を持つ葛野流大鼓方家元・亀井広忠師の鶴の一声によって、そのご社中が人数を集めて頂き、このような運びとなりました。
この地域(桐生・足利)で稽古場を持つことは、足利出身の妻との縁もあり、10年来の念願でしたので、亀井広忠師とご社中には、心より感謝しております。
当流名手の先達のご尽力によって、元々宝生流の盛んな地域ではありますが、更なる発展を心掛けて、大事に育てていきたいと思います。
折にふれてご紹介してまいります!
NHK-FM能楽堂『烏帽子折』の録音2
今回の『烏帽子折』の録音、大変奇遇なことで、実は、来年(2019年)9月23日(月祝)「第6回 和久荘太郎 演能空間」(於・宝生能楽堂)にて、能『烏帽子折』を凜太郎の子方にて私がシテで勤めることが決まっており、そのこともあって、家元が凜太郎に今回のお役をご指名いただいたのです。
しかも、地謡は武田孝史・朝倉俊樹・山内崇生の三師にて依頼済み。今回の録音とほぼ同じメンバーです。この録音があったから、来年『烏帽子折』を勤めるのではなく、私の『烏帽子折』計画及び依頼のほうが先、という奇遇。これを好機と、またはりきって参りたいと思います。
ですから、皆様には、来月(9月9日)にラジオの音で聴いて頂いた素謡『烏帽子折』を、来年の演能空間の舞台上にて立体化した能『烏帽子折』をご覧いただく、という、2段階のご鑑賞をしていただくのが一興かと存じます。
演能空間の『烏帽子折』の間狂言(盗賊の棟梁)は、先頃、東京オリンピック・パラリンピック開会式・閉会式の演出統括責任者に選ばれた野村萬斎師。間狂言とは別に本狂言(曲目未定)も萬斎師にお願いしておりますのでご期待ください!
NHK-FM能楽堂『烏帽子折』の録音1
本日、渋谷のNHK放送センターにて、来月放送予定の『烏帽子折』(素謡)の録音でした。
【放送予定】
平成30年9月9日(日)午前6時~6時55分(NHK-FM)
素謡『烏帽子折』
シテ 武田孝史
ツレ 朝倉俊樹
ワキ 山内崇生
ワキツレ 和久荘太郎
若武者 佐野玄宜
子方 和久凜太郎
通常、素謡やNHK-FMの録音では、子方役も大人が勤めますが、今回は凜太郎(12歳)にお役をいただき、毎日稽古に励みました。
凜太郎がNHK-FMでお役をいただくのは、3回目。
1回目は、6歳で『唐船』の日本子役。小学校に入りたてで、まだ幼児のようなときでしたので、私自身が大変不安に思っていましたが、シテの金井雄資師の優しく的確なご指導もあり、なんとか無事勤めることができました。
2回目は、10歳で『歌占』。ちょうどその録音の直前に、実際の能の舞台で『歌占』の子方を2回(小倉伸二郎師と私相手)勤めましたので、これは心配なく勤めることができました。
NHK-FMの録音では、間違いが許されないので、我々本職でも謡本を見て臨みますが、前回2回とも、凜太郎は無本で臨みました。これは当然のことで、子供の稽古は謡本(能の台本)は見せずに、全て口伝(口移し)で稽古します。
ただ、今回は、『烏帽子折』の子方の謡は膨大な分量であること、また、子方とはいえ、心身と思考もだいぶ成長してきましたので、日常の稽古も徐々に謡本を見せて稽古するようになってきた、ちょうどよいタイミングであったこともあり、我々同様に謡本を使って録音に臨みました。
(続く)
お知らせ(八ヶ岳薪能 能『邯鄲』の子方について)
来る8月3日(金)開催の八ヶ岳薪能にて、能『邯鄲』(シテ 辰巳満次郎)の子方に「和久凜太郎」と記載されていますが、これは間違いで「片桐遵」が正式な配役ですので、お知らせ致します。
度々、色々な方に、「息子さん、八ヶ岳薪能にご出演ですね。観に行きます。」などとお声がけ頂き、本役として稽古に励んでいる片桐遵君に申し訳ないので、この場を借りてお知らせ致します。
決して凜太郎の代役ではなく、本役として片桐遵君が配役されていますが、チラシの記載に間違いがあるようです。(確かに、初期に凜太郎にはお声がけ頂きましたが、この日は小学校最後の林間学校が重なっており、最初の段階で丁重にお断りした次第です。)
この片桐遵君、名古屋で活躍する子方で、小学6年生。顔も可愛くて、謡も型(舞)もしっかりしていて、将来が楽しみな子方です。私自身も、いずれ共演できるのを楽しみにしています。
附祝言について
本日は、ちょっと専門的な話題を。
謡会の最後は、めでたい文句で結ぶ習慣があります。
先日の甲府・武田神社の謡初にては、留めが『紅葉狩』という鬼の能だった為、附祝言(つけしゅうげん)として、『五雲』を謡いました。『五雲』は、昭和に出来た宝生流独自の祝言小謡。「流れ久しき栄えかな」とめでたく結びます。
但し、その日の番組に他流派の方がいらしたり、会場が他流派のお舞台などのときは、『五雲』は遠慮して、他の小謡を謡います。
附祝言には、『高砂』『猩々』『難波』などが能く謡われます。もちろん、『五雲』ではなく、これらを最初から附祝言として選択して良いのですが、その日の番組内と重複する曲は避けます。
ところで、番組の最後に上記の、『猩々』などの祝言の曲が配されている場合は、重ねて附祝言を謡うことはしません。すなわち、『猩々』が留めならば、その後に『高砂』(千秋楽)の附祝言を謡う、などということはしない、ということです。この点は、誤解されている方が多いようにお見受けします。
また、めでたい文句で結んでいる場合も同様に、祝言は付けません。
さて、ここで疑問が沸くのが、後半が仇討ちの物々しい曲『夜討曽我』。「引っ立てゆくこそめでたけれ」と、表面上はめでたい文句で結んでいますが、このような殺伐とした曲で謡会を結んでも良いのでしょうか。シテの曽我五郎が大立ち回りの末、敵に捕縛されて、幕へ猛スピードで連行される時の最後の文句。これは、謡の文章を熟読するとわかるのですが、大立ち回りが進行してくると、主客転倒して、敵の立場として「めでたけれ」と言っています。
そのような背景はありますが、それとは関係無く、「めでたい」文句で結んでいるので、『夜討曽我』が番組の留めに配されていれば、附祝言は謡わなくて良いのです。16代宝生九郎師の文章としても、そのように書かれています。