映画監督・山崎逹璽氏講演会

達璽
11月26日(土)午後1時半より、名古屋市立名東高校内・国際教育センターにて、僕の高校時代からの親友(悪友)である映画監督・山崎逹璽氏が「時代劇映画に魅せられて」と題して講演会をします。
冒頭のチラシには、
「特撮や怪獣映画に興味を持ち始めた幼少期。名東高校で、人生を左右することになるひとりの友人(能楽師・和久荘太郎さん)に出会い、そこから古典芸能に目覚めていく。その後、目指していた映画作りの方向性が、歌舞伎や浮世絵などの伝統文化に則った「時代劇映画」へと繋がっていく。37歳、日本人最年少の時代劇監督が熱き思いを秘蔵映像を交えつつ語る。」
とあります。
おいおい、勝手に俺の名前を使うなよ、と思ったら、少し前に連絡もらっていたのを思い出しました。
逹璽くんのこの言葉はどうも本当らしく、「和久ちゃんのおかげで(せいで)こうなった」とよく言っています。
高校のクラスは違いましたが、あることがきっかけで仲が深くなりました。
それは、文化祭を控えたある日のこと、僕のクラスは、僕が監督・演出をして歌舞伎の『白波五人男』に手を加えた喜劇を作り、その稽古に励んでいました。
そこに逹璽くんがひょっこり入ってきて・・・・!
実は、僕はそれくらいしか覚えていません。昔のことをすぐ忘れてしまう性質なのです。
しかし、この前後のことは、昔のことを絶対に忘れない性質の逹璽くん本人が、この講演会で披露してくれることでしょう。
しかし、残念。この日は、僕は広島で舞台のために、講演を聴きに行くことができません。
逹璽くんは、日大の芸術学部・映画学科を卒業後、同大学院で芸術修士号を取得し、大学の卒業制作『夢二人形』がカンヌ国際映画祭に史上最年少でノミネートされ、当時の北野武監督も絶賛した、という、華々しい経歴の持ち主。
『夢二人形』は、僕もDVDを買って観ましたが、歌舞伎の様式美を採り入れた新しい手法で、心の奥をくすぐられました。
最近の作品では、『宮城野』があり、主演の片岡愛之助が名女優・毬谷友子を相手に素晴らしい演技を見せています。これも、映画の常識にとらわれず、カメラワークよりも様式美の手法で画面をとらえ、観る者を飽きさせません。
山崎逹璽オフィシャルサイトはこちら
この講演会のお問い合わせ先 052-703-3313(名東高校)
入場無料です。面白い話が聞けるかもしれません。

ワークショップ終了


本日、第4回名古屋宝生会ワークショップ、おかげさまで無事終了しました。
名古屋宝生会主催として、事前のワークショップを行うのは、長い歴史の中でも初めてのことでしたので、試行錯誤の全4回でしたが、ワークショップのやり方に正解などありません。名古屋在住のメンバーと密に相談を重ねながら、それぞれの個性や得意分野を生かせる形で取り組み、定評をいただくようになってきました。
来年度24年も、引き続き全4回とも事前のワークショップを行いますので、ぜひみなさま、お誘い合わせの上ご参加下さい。
名古屋宝生会定式能全4回の年間会員券(18000円。2000円の割引)をご購入いただくと、各回毎のワークショップ無料参加チケットが付いていますので、おすすめいたします。(ワークショップのみのご参加は1000円頂戴します。)
次回は新年1月15日(日)10時から11時半、名古屋能楽堂地下稽古舞台にて。
1月20日(日)に上演される能『小袖曽我』(シテ・内藤飛能)と『小鍛治・白頭』(シテ・玉井博子)を題材に演者の視点から解説いたします。
メンバー一同、大勢のご参加をお待ちしております。

NOH-AGE記事

 9月21日付の夕刊フジに、7月31日目白庭園にて催された、8月5日「NOHーAGE鵺」にむけてのワークショップの記事が掲載されました。
和の会記事

日焼け

日焼けには、大変気を使っています。
特にお役の前は。
麗しき女性の役の、装束からちらと見える手元や、面の脇から見える顔や首もとが真っ黒では、幻滅しますね。
地謡の端っこに座っていても同じこと。
日焼けというのは、その人の日常生活を如実に表しています。
日常生活を舞台上に持ち込むと、お客様は違和感を感じます。
「ああ、あの人はゴルフ焼けだな」
とか、
「南国で楽しんできたんだな」
など、観能に集中できませんね。
かといって、能役者も舞台を離れれば現代に生きる一人の人間ですから、遊びを楽しんでいけないことは無いでしょう。ただ、人によって気をつけ方が違いますが。
数年前の一時期は、大先輩に倣って日傘を使ったことも。ただ、気恥ずかしくて長続きしませんでしたが。男用の日傘がブームになってくれることを切に望みます。
この夏、子供をプールに連れて行きましたが、凜太郎は来月の月並能で、『花筐』の子方の役を頂戴しているので、大変気を使います。しかも天皇の役。実際はどうだったかはわかりませんが、田舎から出てきたとはいえ、真っ黒な天皇はイメージに合いません。
また、同日の月並能で、私も『敦盛』のツレを勤めますので、草苅男の役とはいえ、日焼けするわけにはいきませんので、子供ともに日焼け止めをしつこいほど塗りたくって、何とか難を逃れました。
しかし、体全体に塗ってはいたのですが、顔と首と手を中心に塗り直しを重ねていた為に、そこだけ白くて、後は見事に日焼けという、奇妙な焼け方。
その世界にはその世界なりの、色々な気の遣い所がありますね。

わくさん

10年ほど前から、「わくさん」と呼ばれるようになってきました。
何をいまさら、当然じゃないの、とお思いになるかもしれません。
いえ、イントネーションの話です。
「たくさん(沢山)」と同じイントネーション。
私としては、「おくさん(奥さん)」と同じイントネーションだと思っているのに。
これは、『踊る大捜査線』の影響だと考えております。そう、ドラマ内の故・いかりや長介の役が、私と同じ名字の「和久」なのですね。
主演の「青島」役の織田裕二が、劇中「和久さん!」とよく叫んでいたのです。
と言っても、実は私はこのドラマを一度も見たことがありませんでしたので、なぜ皆イントネーションが変わり始めたのか、全く理解できませんでした。
最近では、初対面の方には9割方「たくさん」の方で呼ばれますので、もしかしたら本当は私が間違っていたのかしら、とも思い始めています。
いかりや長介が亡くなった後も、引き続き伊藤淳史が甥っ子役として「和久さん」で登場しているようですから、これは相当年数続きそうです。
フルネームだと、「和久荘太郎(杉良太郎と同じイントネーション)」という風に、音が下がっていくのに、名字に「さん」が着くと、なぜか音が上がっていくのです。
これは、後に続く文字数が少ない場合に起こるのではないかと考えております。
例えば、「谷啓(たにけい)」と「谷亮子(たにりょうこ)」。同じ「たに」という名字でも、前者は音が上がっていき、後者は下がっていきます。
このような研究結果が既にあるようでしたら、ぜひご教示願いたいと思います。
こんなくだらないことを考える暇があるということは、私もまだまだ暇人の領域を出られない凡庸です。

カミングアウト2

(つづき)
言葉は、皆さんご存知名古屋弁。昔、タモリが「ミャー」とか、「エビフリャー」など流行らしましたが、さすがに誇張し過ぎだとは思います。
給食が済み、昼休みになると先生に「はよー(早く)机をつれー」と言われ、困惑しました。
後になって、掃除をするためにイスを逆さに机に載せて、後ろへ移動することを「つる」と言うことがわかりました。
(漢字は、未だにわかりません。「吊る」でしょうか?「釣る」?)
郷に入っては郷に従えのたとえ通り、私もだいぶ無理して名古屋弁を使ってきましたが、生粋の名古屋の方が聞くと違和感を感じているようなので、最近無理は止めました。
名古屋人になりきれぬまま上京し、しかし周りの期待に沿うよう、名古屋人のフリをしなければならない苦しさ(大げさ)。
ここにカミングアウトいたします。
わたしは、…あれ、ナニ人でしたっけ。
もういいや、宇宙人で。うちの会は涌宝会(ユーホー会)だし。
(これが一番言いたかった)
名古屋を「生まれ故郷」だとは思っておりませんが、誤解いただきたくないのは、名古屋の能楽界には大変感謝しております。私を導いてくださった方々のおかげで、今の私があります。
今後とも、名古屋の能楽発展、引いては日本の能楽発展のために尽力して参ります。
ある方のご協力を得て、名古屋宝生会のホームページも作成中です。
さらなる修行と宣伝により、良い舞台を提供して、能をご覧になる方と習う方、両方をもっともっと増やしたいと思います。

カミングアウト

出稽古のため名古屋に向かっております。
名古屋は、私の出身地ということになっています。
でも、生まれたのは、先日の記事でも書いたように山梨の病院。自宅は、横浜でした。
父親が転勤族だったものですから、その後、小田原、東京(杉並)、仙台、と移り住んで名古屋に行きました。
能に出会ったのは、名古屋で中学3年生の時。感銘を受け、高校生から玄人の修行が始まり、上京して現在に至りますので、能楽界では私は名古屋出身ということになっています。
小学5年生で名古屋に引っ越した時は、独特の食文化に驚きました。
給食の赤だしの味噌汁。両親は関東出身なので、家でもついに赤だしが出ることはありませんでした。
みそカツ、味噌煮込み。今では大好きですが、初めは土食ってるみたい!(失礼)と毛嫌いしました。
喫茶店では、過剰、いや行き届いたサービスで、コーヒーには、必ずおつまみがつきます。
焼きそばの上には、目玉焼きと福神漬けが乗っていて、ライスが付きます。
冷やし中華には、皆必ずマヨネーズをかけて食べます。
(つづく)

甲府稽古場


山梨県甲府市の稽古場、武田神社内「甲陽武能殿」です。
本式の、屋外常設の素晴らしい舞台で、観世流九皐会の当主、観世喜之先生の命名だそうです。
ここで年1回、地元出身で九皐会所属の観世流能楽師・佐久間二郎氏が薪能を催されて、毎年ご盛況のようです。
私の同門会・涌宝会では、現在4人のお弟子さんと楽しく稽古しています。
月1回、曜日不定です。
その内お2人は、月1回では飽きたらず、東京の自宅稽古場にもお越しいただき、計月3回稽古なさっています。
実は私、この近辺には縁があり、甲府市隣の韮崎市の病院で生誕しました。
当時我が家は横浜在住でしたが、頻繁に「おじいちゃん・おばあちゃん」に会いに行くものですから、すっかりおばあちゃん子になってしまいました。
祖母が甲府の駄菓子屋によく連れて行ってくれました。
都会育ちのため、山梨は私の田舎、という感覚があり、今でも祖母や叔母もおりますので、里帰りするような懐かしい気持ちで、月1回稽古に参っています。
山梨県で、能の稽古をなさりたい方、ぜひ一度稽古風景をご覧にお越しください!
お問い合わせは当ホームページまで。

リュックサック

最近、リュックサックを愛用しています。しかもスーツやジャケットスタイルに。

店員さんにたずねましたら、震災以来、やはり売れているようです。自転車通勤に切り替えたり、いつでも逃げられるように、ということでしょうか。

僕は別の理由で、実は長年腰痛に悩まされてきましたが、ここ数ヶ月症状がひどくて、片手で長時間重い荷物を持つのがつらく(むしろ両手に持ちたい)、ランドセル以来ですが背負うことにしました。

背負ってみると、あら楽ちん。傘もさせるし、さらに荷物を持てる!いや、それは悪循環だからやめておこう。
しかし、着物一式が入るくらいの大容量のを買ったので、普段持ち歩かなかったものまでどんどん詰め込んでしまって、結局腰に来ているかも。

さすが、米国TUMI社のカバンは機能的。ポケットが充実していて、どこに何をしまったかわからなくなります(どっちなんだか)。

さる御方には
「トゥミ(罪)を背負っているのか」
といわれ、それいただき。

とても気に入っていますがたったひとつ不満は、「着物に合わない」こと。
スーツにリュックは増えてきましたが、さすがに着物にリュックは…。
背負いたければ、やはり風呂敷でしょうか…。
着物が楽で好きですが、外に出歩くことは少なくなりました。

『雲雀山』も済んだし、この辺で気合いを入れて腰を治します!

次回シテ予告

 昨日は、五雲会に多数ご来場賜り、誠にありがとうございました。
皆様のご声援のお陰で、『雲雀山』、何とか勤めることができました。
次回のシテは、『鵺(ぬえ)』を8月5日(金)「NOHーAGE」という、宝生和英宗家主宰「和の会」主催の催しにて勤めさせていただきます。東急セルリアンタワー能楽堂にて、20時開演。『鵺』一番のみです。
源頼政に退治された、異形の怪物「鵺」が主人公。前半は不気味な雰囲気ですが、後シテはちょっと哀れ。頼政の矢に射られて、淀川に流される様を、仕方話(一人二役)と舞で表現します。
今回の『雲雀山』とは、全く違う曲種です。能楽師は、様々な役になれるので面白いですね。たまに憑依してしまうこともありますが…。
チケットは、当ホームページにて承ります。
皆様、どうぞご予定下さいませ!