新作能の意義 2

(つづき)
私は別に新作能推進派ではありませんが、このような経験を若い内にさせていただけることは、滅多にない大変幸せなことです。
普段、能一曲を作り上げるのに、独りで稽古、稽古、のみでいくと、どうしても「技術」を職人的に突き詰めることばかり考えて、視野が狭くなるのは否めません。
過去に拝見した先達の舞台を思い返したり、文献に触れたりして視野を広げる努力はしますが、なぜ此処の型はこう動くのか、どうしてこう謡うのか、というところまでは、あまり考えが及びません。
しかし、今回の経験によって少し目が開かされ、古典の既存の能の作られていく過程や、年月により無駄が削ぎ落とされていく過程、また、作者の意図や役柄の立場・全体のバランスなどに、改めて考えをめぐらすことができそうです。
以前は、他流派の新作能をただの「話題集め」くらいに考えておりましたが、満次郎師演出の『マクベス』『六条』そして今回の『散尊』などの、きちんとした「能の演出」に則った新作能に参加するにしたがって、その意義を感じるようになってきました。
お客様には楽しみにしていただきたいと思いますが、私自身も当日が楽しみです!