かくて時過ぎ・・

15歳(高校一年生)の私。

掃除していたら30年前のパスポートが出てきて、開いたら、あまりの変わりように本人もビックリ。子供たちに見せたら、娘(小6)は開口一番「お父さんカッコイイ!!」と。息子(中2)は、「(今と)全然違うじゃん!!」と。妻と娘はこの写真をみて、口を揃えて現在の息子に似ている、と。

 

かなりツッパった生意気な顔つきですね。まだ能の稽古(謡・仕舞・大鼓・笛・小鼓)を始めて数ヶ月。並行して子供の頃からやっていた日本舞踊(花柳流)・剣道・居合道(無双直伝英信流)などなども続けていました。

名古屋市の姉妹友好都市であるシドニー市(豪州)にて、名古屋市立名東高校能楽研究部がホームステイを含めた能の発表の機会を得たために、高校入学直後にパスポートを取得したのです。私は、仕舞『嵐山』を舞い、舞囃子『経政』の大鼓も打ちました。

 

その為に、名古屋にお稽古場があった辰巳孝師(辰巳満次郎師の父君)に名東高校能楽研究部として総合的にお稽古を見て頂き、これを一つのきっかけとして色々なことがあり(いずれお話しする時が来るでしょう)、やがて能の道一本に進むことを決意します。

まあ、今振り返っても、とにかく誰に対しても生意気な野郎でした。良く言えば、生きる気力に満ち溢れていました。

 

ちなみに、着ているのはスーツではなく、名東高校の制服です。ネクタイは結んでいるのではなく、金具でシャツの襟に挟んであるだけ。今の名東高校の制服はちゃんと結ぶ方式のようです。当時名東高校は名古屋市立の新設校で、「普通科」だけだけでなく「英語科(現在は国際英語科)」があり、英語教育に力を入れた一風変わった学校でした。各クラスに留学生がいて、校風も大変自由で、破天荒、破茶滅茶な私を押さえつける先生も少なく(数少ない私を押さえつけてくれる先生に対しては容赦なくハネ返していました。ゴメンなさい!)、かえって先生方も私に同調してノリノリになってくれて、私は本当に伸び伸びと学校生活を送ることができました。

 


かくて時は過ぎ・・・・・・・


 

そして、これが30年後の成れの果て。満45歳。今年46歳になります。艱難辛苦が顔に刻まれています(?)。初志貫徹で、一応能楽師の端くれで舞台に立たせていただいています。その代わり、能以外のことには疎く、恥かくことばかりですが・・・。常識的・人格者のお弟子さん達や良い家族、良い師匠に恵まれて、生かされていることを実感・達観するこのコロナ禍です。

 

私よりも若年の皆さんへ。「30年はアッという間」でしたよ。