あずさ3号
今日は、甲府のお弟子さんの日帰り稽古の為、8時ちょうどのあずさ3号で、私は私はあなたから旅立っています(JASRAC未許諾)。
JASRACの潜入調査問題の是非が問われていますが、法律とはいえやり方がちょっと‥。調査員は仕事とはいえ、そのとき、発表会までの長期間、人心をもてあそんでいなかったと言えるでしょうか。この事例に限ったことではなく、どの分野でも、人にものを習う、人にものを指導する、ということを、みんなが深く考えてほしいと思います。
能の謡は、当然著作権法が無い時代のものですから(謡本の「版権」とは別)、稽古でも自由に謡って問題ありません(謡本のコピー使用はいけませんよ)。
そもそも能草創の室町時代当時、ある座(流派)で作られた能を、他座(他流)の大夫(家元)が、「面白いからウチでもやろう」という場合、想像するに、きちんと挨拶をしに行って台本を頂いたり、ということもあったでしょうが、見覚えで勝手に演じる、ということもあったのでは、などと想像しています。養子縁組の引き出物として曲を譲渡する例は実際にあったようですが。
マネされることを「取られた!」(被害者意識)と受け取るか、「名誉」(余裕の上から目線)と受け取るか。これも色々だったのでは。
私も、演能空間のチラシや、私の公式ホームページのデザインなどを真似されてる、と感じることがありますが、真似してもらうだけの価値のあるものを生み出せた(デザイナーさんのお陰ですが)、という自負と誇り、矜恃で、却って「名誉」(当然上から目線で)と感じています。
私自身、謡っていて、どう考えてもこれは他曲の「引用」を通り越した「盗作」だろう、と思われる曲が結構な数あります。しかし良い方に考えれば、「パロディ」なのかもしれません。原曲を知っているお客さんが観る(聴く)と、思わず「クスッ」となったり、想像の景色の幅が広がったり、という。
ちょうど、能『頼政』を題材にパロディにした狂言『通円』の関係を、能の中でもやっていたのでは。
などと勝手に想像すると、昔は大らかだったなあ、と。妄想は膨らみます。