ビューティフルレイン
本日7月1日(日)からフジテレビで始まった、「ビューティフルレイン」というドラマに見入ってしまいました。
普段テレビをほとんど見ない為、流行にはいつも取り残されている方ですが、たまにこうして何気なくつけたテレビで、良いドラマとの出会いがあり、泣いたり笑ったり、人生観が変わったりします。
豊川悦司演じる父親と、芦田愛菜ちゃん演じる娘(美雨。題名の由縁か)が織りなす親子愛。母親は8年前に亡くなっています。
初めはただの幸せ父娘の話かと思いきや、父親は若年性アルツハイマーと診断されます。
このまま後期症状に進むと、家族が誰か解らなくなり、遂には自分が誰かも解らなくなる、と宣告され、父親は医師にくってかかります。
「娘はまだ7歳だ、そんなことになったら誰が娘の面倒を見るんだ!」と。
理不尽な怒りですが、気持ちが分かります。
あまりこのブログには登場しませんが、私には、今月6歳になる息子の他に、4歳の娘がおります。
別に、息子を偏愛しているわけではなく、娘も同様に可愛がっていますが、能に深く関わらせているのは、息子ですし、我が娘は何しろ能には向いていない気がするので、ブログの登場回数も自ずと少なくなります。
よく思うのが、この子たちが、もしそれぞれ一人っ子だったら、溺愛し過ぎて、子供は息苦しいだろうなと。
特に、自分と娘がこの「ビューティフルレイン」のような状況に置かれたら、と考えると、物狂おしくなります。
記憶喪失物は、昔から数多くあり、万人泣かされてきましたが、ワンパターンと思うなかれ、「能」も同じです。
鉄板の題材は、先が読めてしまおうが、マンネリ化しようが、役者や演出が変われば、違う作品になるのです。
例えば『隅田川』は、話の展開がわかっていたって、何度でも泣けるのです(このように、曲の出来が素晴らしいから、役者が多少まずくても、曲に助けられるという曲が能にはいくつかあります)。
ともあれ、自分の身に起こる悲劇はいやだけど、ドラマ・演劇・能は無責任に人を泣かせてくれますね。人間の欲求で、「泣きたい」という欲求もあるのでしょう。
来週から欠かさず観なくっちゃ!
芦田愛菜ちゃんかわいい!