舞台磨き①
いよいよ暮れも押し詰まってきました。
我が家も大掃除で大忙し。なーんて、例年は、申し訳ないとは思いつつ、妻に任せっきりで、私は仕事にかまけてほとんど何にもしません。妻に心から感謝。
しかし、今年の暮れは、奇しくも声帯ポリープ切除後のリハビリ期間なので、安静第一とはいえ、声を出し過ぎたり、あまり力み過ぎるようなことをしなければ良いので、心を入れ替えてしっかり掃除しています。
中でも、今回の静養中にやろうと決めていたのは、3階にある能舞台の板磨き。現在、築54年の家(7年前に購入)ですので、舞台も同じく54歳。昨今手に入らない貴重な桧(ひのき)の1枚板ですが、惜しいことに、ニスか塗料のようなものが塗ってあり、黒光りして色は良いのですが、どんなに磨いても、稽古をすると足袋が汚れてしまいます。この家を建てた方(故人)が、おそらく、早く良い色を見たいと思われた末の処理だと思います。
うちに稽古にいらっしゃるお弟子さん方は、足袋が汚れるとは一切仰いません。皆さん、さすが素晴らしいお気遣いですが、私や凜太郎は身をもって、汚れることを実感しております。
ということで、今回、紙やすりによる手磨きで、板の表面を隈なく磨こう(削ろう)と思います。
これが、現在の舞台。舞の稽古で能く通る部分が、足袋でこすれて白く削れています。この白い部分が、本当の舞台の色。全体がこの色になることを目指して、やすりをかけていきます。
(続く)
無言の行①
無事、退院して、帰宅しました。
最終の診察では、ポリープ切除の傷も綺麗で問題無しとのこと。今後病院通いしつつ、5日後からリハビリが始まります。それまでは、無言の行。子供たちとコミュニケーションを取ろうとすると、やはり思わずしゃべりそうになります。
ただ、前回の手術のときは、約3年前ですから、凜太郎は小学2年生、娘は幼稚園年長。私が書く筆談の字も読めないし、察しも良くなかったのですが、2回目の今回、奇しくも2人の成長を実感。私のジェスチャーで大方読み取ってくれます。
写真は、娘が入院前に作ってくれた札(プラカード)。お父さんが、日常最も能く使う言葉です。「💢(怒りマーク)」は、妻が書き添えました。
帰宅後、早速使う機会が5回程あり、大変役立ちます。
日常生活で、子供たちがたくさん笑わせてくれるので、笑いをこらえるのに必死。入院前に、「声を出さないうがい」や「声を出さないで謡を覚える」などの練習はしましたが、「声を出さないように笑う」練習を、うっかりし忘れました。無言の行は難行・苦行です。
(続く)
手術無事②
(続き)
病室に帰ると、妻から驚きの報告。なんと、摘出したポリープ氏は1人かと思いきや、ポリープJr.がいたらしく、そいつも根こそぎしたと、主治医から説明を受けたとのこと。
話が前後しますが、手術前日には、恒例の声のテストを受けました。声量・音域・息の長さ・質などを細かく分析します。ポリープがあっても音域は4オクターブ超でいつも驚かれますが、私の実感通り、やはり息が全部声になっていません。また、小さい声だと声質が安定しないことが判明。どうりで、最近微細な加減が出来なくて、舞台上で真剣に謡うと、思いのほか大きい声になってしまうと感じていました。
これらが、今後のリハビリでどのように改善出来るか、楽しみです。
明日は退院。これから自宅にて自主管理のもと、発声禁を守らなくてはなりません。子供たちに「おとうさーん」などと呼ばれると、思わず返事をしてしまいそうで怖い!口うるさい父親も、暫く封印です。
ホットシャワー5
これ、A&D社の「ホットシャワー5」。吸入器です。
大変優れた商品で、在宅の日は、これで1日に3回吸入しています。
実は、通常の吸入器の機能では、蒸気の粒子が大きくて(10ミクロン〜40ミクロン)、声帯まで届きません。この吸入器は、蒸気が5ミクロンまで小さくなり、声帯までしっかり潤すことが出来る、とのことで、3年前の声帯ポリープ切除手術の前から、主治医から「アマゾンで買いなさい」と勧められて、それ以来愛用しています。
当時、「能楽師は普段のケアが足りない人が多い」と言われてしまいました。このようなケアは、洋楽の方など、声を出すプロフェッショナルは当然のことだそうです。
風邪の予防や、花粉症、鼻詰まりなどにも最適。それ用に、付け替えられるノズルが3つ(吸入用マスク、口用、鼻用)付属しています。
手入れも、慣れればそう面倒ではありません。
決して、A&D社のまわし者ではありません。一家に一台、お勧め致します。
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。
遂に、前厄・本厄・後厄と続いた3年間も明けました。
体の変化を多少なりとも感じて、色々と反省をした3年間でした。
本厄の年には、声帯ポリープ摘出手術を行い、既に2年経とうとしており、声の調子は以前よりも良好。本当に手術をして頂いてよかった!
身体をいたわりながら鍛えつつ、心新たにはりきってまいります(当ブログも・・・)。
本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
私のお正月
皆さまお健やかにお正月をお迎えのことと思います。
本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
大晦日は、少し成長した子供たちが、初めて年越しに挑戦。しかし、眠気には勝てず・・・。
夫婦のみで「紅白歌合戦」、「ゆく年くる年」という、古来より伝わる日本の年越しの儀式を執り行い、穏やかに2016年を迎えました。
起床して、お仏壇と神棚に拝礼し、一家揃いお屠蘇とお雑煮・お節料理を前に、ここは家長の威厳を、と年初めの慣れぬ訓辞を垂れ、お屠蘇を軽く頂いたら、朝一番の空きっ腹に効果てきめん。面はめでたき猩々のごとし。
まだ朝の冷気が立ち込める三階の能舞台に上り、一家4人にて(妻と娘も)我が家での謡初めを『鶴亀(月宮殿の白衣の袂)』にて厳粛に行いました。
来年は、お屠蘇の前に謡初めをしよう、とちょっと後悔。宴会芸のように、いい気持で謡う癖が付いてしまいそう。
届いた年賀状を眺めていると、もう良い時間。宝生能楽堂にての謡初めに向けて、紋付・羽織・袴の正装にて威儀を正し、凜太郎を連れていざ水道橋へ。
恒例の元旦の儀式で、東京の宝生流職分が長老から子方まで一堂に会し、本舞台にて家元の発声により、宝生流小謡「七宝」を同吟して、新年の舞台を開きます。
その後、新年会にていよいよ本格的な飲み正月を迎え、普段は厳めしい人も、この時ばかりは笑顔を絶やさず明るく、明るく。
凜太郎が、子方仲間の野月惺太くんとちょろちょろ動き回って悪戯をしようとも、明るく、明るく。
気持ち良く帰途につき、さて、私はこの後がいよいよ佳境。一家を連れて、妻の実家に向かいます。
めでたく100歳を迎えた妻の祖母を中心に、親戚が約30人集まります。
10人を超える子供たちを一列に並べ、「お年玉の儀」を執り行うさまは少子化ニッポンを忘れさせます。
みな年毎に大きくなり、楽しみ、楽しみ。
私も婿とて11年が過ぎ、下にも置かない歓待に恐縮しながらも、一員として漸く馴染んできたかな?
義理の兄が用意してくれたくじ引きでは、みな大はしゃぎ。凜太郎は、さすが(?)能役者、大仏のお面(能面ではない)を当てて大ウケ。その文字通り仏頂面のお面を付けて、親戚一同記念撮影。
子供たち皆、この日この時を永く覚えていてほしいと思います。
国宝・鑁阿寺へ徒歩にて初参り。昨年本厄を無事(声帯ポリープ切除手術がありましたが、「それくらいで済んで良かった」と)過ごして、後厄を揃って迎える和久夫婦は、昨年の御札をお焚き上げして、最後の厄年を無事乗り越えられるよう護摩の秘法を受け、鑁阿寺名物「いもフライ」を賞味し、足利の正月を満喫しました(まだまだ序の口)。
昨年に引き続き、厄年の今年は新しく事を起こさず、心を平静に保ち、身体をいたわり、無理をせずに過ごします。心ない世の人は、所詮他人事(ひとごと)ですからこれを「老成」と揶揄しますが、そうではなく、そういう「雌伏」の時期を迎えている、と考えています。
その代わり、厄が明けたら・・・。
舞台復帰いたしました
声帯ポリープ切除手術一か月が経ち、先日無事舞台復帰を致しました。
皆様には、ご心配、ご迷惑をおかけしたにもかかわらず、お優しい励ましのお言葉をおかけいただき、心より嬉しく思っております。
日に日に快復を実感しており、気力体力ともに充実、生まれ変わった声帯で、また気を入れなおして、芸道に邁進したいと思いますので、今後ともお引き立てのほど、何卒宜しくお願い申し上げます。
舞台復帰
先月3月23日からの休業宣言から約1か月が経ち、先日4月26日(日)、面を掛けた能役者としての舞台復帰を果たしました。しかも新作能『オセロ』のデズデモーナ役で。
今から約1か月余り前の3月24日に声帯ポリープ切除手術を受け、10日間の沈黙療法を経て徐々にリハビリをしておりました。
その後、時間制限付きの発声許可が出ましたが、日常会話のみの許可で、本業の「謡」の発声許可が出たのは手術後ちょうど3週間後の4月15日。この日は、自宅舞台にて終日お弟子さんの稽古日にしており、おそるおそる、加減しながら、お弟子さんの稽古というよりも、自分の発声練習のようで、なんだか申し訳ないようでした。
ガサガサ声で、まだ感覚が掴めなくて、一抹の不安がよぎりましたが、その後、日ごとに快復。気持ち良いように謡の声が出始めました。
現在、まだ完全なる本調子ではありませんが、毎日謡うのが楽しみになっています。
自らの声の調子を測るのに、手術前から謡っているのが『羽衣』のキリ(「東遊びの数々に」~最後)。音高の幅が広いのと、息を出し続けて歌わなければならないので、自分のその時々の調子を測るのに最適だと思います。手術当日の朝、手術着に着替えてから病室で謡ったのですが、その時よりも、今は明らかに楽に発声出来ています。
特に、宝生流が多用する「カン(甲)グリ」という最高音を出すのに、無理な圧力が必要無くなりました。
今後の主な舞台出演予定は、
色々な会で珍しい曲の地謡の役が続き、5月中旬には伽羅の会(笛方・八反田智子師社中発表会)にて舞囃子『海人』を舞い、名古屋での新しい企画の「謡講」の催しにて素謡『藤』を独吟でまるまる一曲、そして6月6日(土)には、10周年になる私の社中の記念発表会があり、番外にて一調『東北』(大鼓・亀井広忠)を勤め、6月20日には能『八島』のシテを勤めます。その一週間後には佳名会・亀広会(亀井忠雄師・広忠師社中会)にても舞囃子・地謡を勤め、7月には家元に一週間随行してイタリア・ミラノ万博ジャパンデーの出演。
これだけ並べてみたのは、別に自慢でも不満でもなくて、舞台復帰後、こんなに立て続けに舞台の機会があって、心から嬉しく思っているのです。
しかし、考えるにつけても、このタイミングで手術を受けて、本当に良かった。
また一から頑張ります!
手術 無事
昨日のブログにては、皆様を思いのほか驚かせてしまったようで、大勢の方から優しいお言葉を頂戴しました。
この場を借りて御礼申し上げます。
さて、今朝、妻の付き添いのもと、声帯ポリープの切除手術は無事成功して、酸素マスクと点滴の物々しい装備の中、母や子供達も見舞いに来てくれて、夕方点滴も外され、晩御飯も美味しく頂きました。朝・昼と制限があり食べられなかったので、病院自慢のご馳走が更に美味しかったこと。明日退院の予定です。
昨夜は、あまりよく眠れませんでした。手術なんか怖くない、と思っていたのですが、どうも深層心理は違ったようで・・・。
朝起きて寝ぐせを整え(看護師さんを意識?と妻)、手術着に着替え、いざ徒歩にて手術室へ!
手術台に上り、点滴が始まり、「和久さーん、眠くなってきますよー」と言われて、私の中の天邪鬼が、「絶対に起きててやる。寝るもんか」と考え、頑張っていたのですが、思わず「どうしよう、眠くなってきちゃいまし・・」とまで口走った記憶があり、そこでおそらく爆睡。
さて、一炊の夢(邯鄲)とはよく言ったもので、体感時間3分も経たないうち(実際は約1時間)に「和久さーん、手術終わりましたよー」と声がかかり、思わず、「えっ、もう手術終わったんですか!?」と大声で喋ってしまって、「和久さん!喋っちゃだめですよ!」とたしなめられる始末。
そう、この病気は、手術後絶対に喋ってはいけないのです。私の場合、完全沈黙は手術後3日間。その後は、1日30分程度の発声許可が出て、10日後から日常会話は短時間ならば可能(本業の謡は3週間後から)。
そうとは分かってはいたのですが、無理無理。
夕方の診察でも、看護師さんに話しかけられて、普通に受け答えしてしまい(思い返せば看護師さんも普通の反応)、ハッと気付いて、
「あっ、喋っちゃった!」
と、また更に喋っちゃいました。
しかし、意外と声は出るということが図らずも確認できて、内心安心。
ところで、ここだけの話、私は日常、寝言が多いらしく・・・(家族談)。古人の教え通り、寝言は寝てから言うようにしているのですが。
しかも大声。能の謡を謡うことも。
そのことを担当医にご相談したら、笑われて、「それはどうしようもない」とのこと。
今晩、寝るのが不安です・・・。
休業のご報告
去る3月23日、都下某病院に入院し、声帯ポリープの切除手術を受けました。
それに伴い、舞台活動及びお弟子さんの稽古などを3週間ほど休ませて頂くこととなりました。
各方面には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、この機会にしっかり治療・養生して、元気に舞台復帰したいと思いますので、何卒ご容赦頂きますようお願い申し上げます。
経過につきましては、当ホームページ内ブログにてご報告致します。