津島・天王川公園の藤

名古屋出張の合間に、津島祭りで有名な、天王川公園の藤を見に、例のカーシェアを使って強行軍を敢行しました。

残念ながらまだ三分咲き。「九尺藤」という名ですから、これが満開だと3メートルくらいの長さで風に揺れるそうです。

 

それでもきれい。

 

こちらは満開。「たおやか」、というよりも「たわわ」なぶどうのよう🍇

 

当然独りだったので、団体客の写真を撮ってあげた代わりに撮ってもらいました。

 

優雅な生活に見えますが、この後このまま名東高校能楽研究部と愛知教育大学能楽部の稽古。そして車を名古屋駅に返して、最終新幹線で帰宅!なかなかの強行軍でしょ。


『志賀』有難うございました

昨日、五雲会にて能『志賀』を、皆様のお陰でなんとか無事勤めました。ご多用中や遠路のご来場、誠に有難うございます。

 

当日お客様に、6月16日(日)名古屋宝生会定式能『草紙洗』シテと、6月29日(土)豊田市能楽堂『芦刈』シテ、8月17日(土)硯修会『熊野』ツレのパンフレットを挟み込みさせていただきましたが、「名古屋のチケットはここ(宝生能楽堂)で買えますか」と、数名の方から早速宝生会事務所にお問い合わせいただいたようで、大変嬉しく思います。チケットをご用意しておけば良かった、と悔やむばかりですが、パンフレットに記載の連絡先、または当ホームページ内「お問い合わせ」までご連絡頂けましたら、ご用意致しますので、ご遠慮なくお申し付けください。

 

またのご来場を心よりお待ちしております。


失せ物

今日は朝から、明後日五雲会『志賀』の申合せ。終了後、回転寿司で栄養補給して散髪に行き、先ず洗髪された後、いつもの如く謡を覚えながら散髪されようと、一度預けた鞄を出してもらいに行ったら、なんと謡本の入ったポーチが見当たりません!

狼狽して、頭はビショ濡れのまま、「ちょっと失礼!」と美容院を走り出て、さっき立ち寄った回転寿司屋さんに走って行き店長さんに聞くも見つからず、能楽堂に電話して内弟子さんに探してもらうも見つからず、妻に電話して自宅を探しても見つからず‥。

散髪を終えて、念の為歩いた道を戻り能楽堂を探しても、急ぎ帰宅して自分で探してもとうとう見つかりませんでした。

 

久しぶりに失せ物をしてしまいました。しかも、仕事の道具で、長年の様々な書き込みがある大事な謡本。なんと、その中に、明後日舞う『志賀』も入っているのです。

まあ、全部覚えているので大丈夫です(というのはあまりにカッコつけ過ぎか‥)。しかし、いつかは忘れていくものですから、我々は常に謡本を持ち歩いているので、その分失くすリスクも大きいのです。

幸い、書き込みの大事な部分(「型付(かたつけ)」と言って、舞の動きを書いた伝書のようなもの)は、必ず二箇所に書き付けているので、自宅の大きい謡本には残っているのですが、無くした持ち歩き用の小さい謡本は、大変愛着のある、初心を振り返ることが出来るようなもの。約30年前、高校1年生の時にこの道を志したときに、両親に負担をかけまいと朝刊の新聞配達をして貯めたお金で買ったもの。桐箱入りで180冊揃った和綴じの豪華な作りで、当時20万円位かと。

 

失くしたポーチには、近いうちに勤める曲が全部入っています。『草紙洗』『芦刈』『当麻』『熊野』などなど9冊。

フリース素材のオレンジ色の派手なポーチです。もしどこかで拾われたらご一報お願いします!御礼ははずみますよ!


志賀明神参詣

(続き)

2月末の京都囃子方同明会出演の折に、前日の申合せ終了後、得意のカーシェアリングを利用して大伴神社(志賀明神)に参詣してまいりました。

京都から険難な山道を超えて滋賀県側に降りて、「まさかこんなところに」というような場所に彼の神社はありました。助手席に後輩の田崎甫さんに同乗してもらったのでなんとか行けたようなもの。もし私一人だったら、途中で引き返していたことでしょう(前回の投稿の私が入り込んだ写真は、甫さんに撮影してもらいました)。

 

大伴神社の鳥居。

 

例にもれず、謡曲史跡保存会による立て札。

社殿は、残念ながら手入れが全く行き届いていない状態の為、撮影は憚られました。『志賀』の能を勤めさせていただくことの御礼を述べて拝んでまいりました。

このように、「神様」系や「幽霊」系の能を勤めるときは、できる限りゆかりの神社仏閣やお墓にご挨拶に伺うようにしております。

 

そして、翌日の京都囃子方同明会能当日、ホテルから京都観世会館へ向かうべく、武田孝史氏・澤田宏司氏・田崎甫氏と地下鉄駅へ向かって歩いていると、なんと祇園祭の有名な山車の一つ、「黒主山」の収蔵庫が!

今は高級マンションの中に大事に収められています。

 

今年は、つくづく大伴黒主さんにご縁がある、と実感します。実は、今年6月16日(日)名古屋宝生会定式能にて、能『草紙洗』を舞います(詳細は後日当ブログにてご覧ください)。私自身は小野小町役ですが、相手役のワキは大伴黒主。史実ではないのに、お名前の「黒」という文字からの連想か、『志賀』では清新な神様ですが、『草紙洗』では悪役に仕立てられてしまっています。

現在は、『志賀』と『草紙洗』を並行して稽古している状況。複雑な気持ちですが、申合せ(リハーサル)は明後日木曜日。そろそろ『志賀』に集中して稽古して、神様力を高めたいと思います。


恒例の素謡会

去る3月31日(土)神谷舞台にて、恒例の「東京涌宝会素謡会」を催しました。上は、『七宝』『鶴亀』の様子。息子と娘にそれぞれシテ、ワキを謡わせ、参加者全員で『七宝』続けて『鶴亀』を無本にて謡いました。

涌宝会では、ベテラン、初心者を問わず、『鶴亀』は無本、と決めております。こうして回数を重ねるうちに、謡本に頼らずとも謡えるようになってくるものです。

 

これは、『草紙洗』の様子。最前列が立衆、2列目がシテ・子方・貫之・ワキです。

 

 

素謡のみ10番程の会。これを、昨年までは私一人で地頭をしていました(予算の都合上です)が、参加者が増え(て予算に少し余裕ができ)た為、今回、辰巳和磨師に半分の曲を謡って頂きました。少し休むことができて、本当に助かりました!

 

終演後は、屋形船を経営する向かいの寿司屋にて懇親会(反省会ではありません)。名古屋・米沢・塩尻・甲府・前橋などの遠方からもご参加頂き、各地交流ができたようで、良い会になりました。

 

年一回の大会とは別に、このような小さい会で細かいご指導もしてまいります。


艷やかに

一昨日の甲府の稽古にて、武田神社の桜と奥に見えるのは能舞台(甲陽武能殿)。

 

一昨々日、宝生流能楽師・金森良充さんの結婚披露宴の帰りに妻と歩いた千鳥ヶ淵の夜桜。彼を祝うかのように満開。艷やか。


卒業式

昨日は、凜太郎の卒業式。感慨深いものがありました。本人にとっての6年は長く感じたようですが、親にとっての6年はあっという間でした。

身長は母親(私の妻)を超え、声変わり真っ最中。中学校の新しいシューズは、私の靴よりも大きいのにたまげました。

急激な成長の為、東京と名古屋の定式能の子方は全て返上して、残るは9月23日(月祝)の 「第6回 和久演能空間」の『烏帽子折』の牛若丸役のみ。舞台上で牛若丸が元服して、悪党を倒す曲(その「悪党」は野村萬斎さんと私)なので、家元も「良いでしょう」とのことで、予定通り勤めさせます。

しかし、私が中学生の父親とは!


おかげさまで

昨日、東急セルリアンタワー能楽堂にての「渋谷能」第一夜『翁』の千歳を無事勤めることが出来ました。

また、クラウドファウンディングは、皆様のお陰をもちまして無事目標金額を達成することができ、出演者一同、心より感謝申し上げます。

 

私自身『翁』の千歳は、今回なんと7回目。20代初めに披きの機会を頂き、今年45歳になろうとしていますので、若い時のがむしゃらな清々しさは出てきませんが、一週間の精進潔斎はきちんと行い、心身は清浄を保って舞台に臨みました。

 

本日は、日帰り名古屋にて、ただ今帰京の新幹線。能『紅葉狩』の解説と、後見を勤めました。

いつも申しますが、本当は解説は不得手で逃げたいのに、今年は既に4回ほど様々な催しで解説することが決まっています‥。


ニューヨーク

今日は久しぶりの休日。大阪にての新作能『王昭君』の地頭、名古屋宝生会にての解説・後見・能の地謡・仕舞の地謡という大仕事が済んで一段落。

ヘルマンリクガメ達をお風呂に入れてやりました。

ええ風呂や。

背中流しましょうか。

 

15分程の温浴タイム。亀の子束子で優しく擦ってやってると気持ちがいいらしく、湯船の中で必ず例のアレをしちゃいます。身体の内外キレイになったところで終了。バスタオル(雑巾)で拭きあげて部屋にもどしてやります。

 


死生観

昨年末から年始にかけて、能楽界や身内も含めて、色々な大事な方が他界され、能のワキ僧ではありませんが、逆縁ながら喪に服して、当ブログの投稿を少し控えておりました。

(能に時々登場するこの「逆縁」という言葉、現在多くは、「子が親に先立つ」ことを指すようですが、本来は、生前に血縁や関係が無かったことを意味します)

 

いよいよ私自身も、これからどんなに長生きしたとしても、人生の半分は過ぎましたので、死生観を少しずつ意識するようになってきました。

人生の大先輩からすれば、44歳の私にはまだ早い、とお思いになるでしょうが、残された人生で、これから何が出来るのかを考えることによって、現在に立ち戻って張り切って生きていくことが出来ると思うのです。

人生の終わりを自覚して、厭世的になるのか、はたまたプラスに転じるのか、それは人それぞれでしょう。

 

18歳の終わりから30歳まで、約12年間宝生宗家2代に亘って(英雄・英照両宗家)住み込みの内弟子修行をさせていただきました。どこの馬の骨か分からぬ、というくらいの私には大変有難く光栄で、今の私があるのはそのおかげ、と思える、感謝してもしきれない素晴らしい期間でしたが、「12年」という年月はあまりに長い時間でした。

(ちなみに、修行開始当時、今の和英家元はまだ小学1年生で、私が独立した時はもう大学1年生!家族同様に生活したわけです)

いつ独立できるのか、先が見えない生活の為、今だから言えますが、やはりダレる時期が有ったように思います。本当の修行というものは、能以外のことに脇目も振らずに集中すれば、長くても5、6年で充分だと思います。芸が身につこうがつくまいが5年でシャバに出される、という危機感を持てば、人間火事場の馬鹿力が出るものです。そして、独立してからが勝負です。

 

本日1月17日は、阪神・淡路大震災から24年とのこと。当時私は、内弟子修行が始まって数年後のことでした。被災した方々は、私とは違って、常に「死」というものを隣り合わせに意識して生活してこられたことでしょう。

 

今、クイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディー』が旬ですが、リードボーカルのフレディ・マーキュリーは、45歳でこの世を去ったとのこと。私も今年45歳になります。フレディと比べるのはおこがましいほど、まだ何も成し得ていない、しかも煩悩の塊である私の場合、いつ死んでも悔いは残り、この世に足跡など何も残さないでしょうが、常に「死」を身近に意識して、毎日今を大事に生きたいと思います。