文化庁 学校巡回公演

本日は、日帰りで埼玉県岩槻市のある小学校の文化庁巡回公演能『黒塚』に主後見にて出演。

 

この公演も、宝生流としては2年目になりますが、回を重ねるにつれて常に進化しています。

どうやったら子供たちを飽きさせないか、より興味を持たせることができるか、ということを、「影向社」(舞台設営会社)の社長さんや宝生宗家をはじめ担当の能楽師が密に話し合って、より良いものにしようと頑張っています。

こちらはいつも同じ『黒塚』でも、観客(参加者)の子供たちにとっては生まれて初めて観る『お能』。だから、我々出演者各役も気を抜かずに、真剣に毎回舞台を勤めます。

我々にとっても、勉強の場を与えられていることに若手は皆感謝しています。良い流れです。


人柄

昨日の芝宝会(佐野 登師ご社中発表会)パーティーにての一こま。SAMさんを囲んで。(私の顔が赤いのは美味しいお酒のせい)

 

初舞台にて舞囃子『鞍馬天狗』を舞われたSAMさん。さすが、言うまでもなくダンスで培われた体幹。また、何よりも感服したのが、これほどの有名人にもかかわらず、謙虚で心底真面目なところ。その道で大成した方にお会いすると皆同じ印象を受けます。能の舞台姿にも人柄が表れていました。見習わなければ。

 

佐野 登師は、時代を見据えた大プロジェクト、且つ地道な活動をなさっていて、年毎の会の発展に感服します。私が10代の昔から、折りに触れお考えを教えていただきますが、その主張は今も全く変わらない筋金入りで、ちゃんと計画を実現していらっしゃいます。私より15歳上とは思えないバイタリティ。見習わなければ。

 

良い刺激を受けました。


エスカレーターと能の拍手 一考察

最近、このポスターに目が行きます。

このキャンペーン、形は多少違えど全国展開しているようです。これはうまくいけばとても良いことだと思いますが、どうやらなかなか普及しませんね。

片側空けの歴史は結構古いそうで、日本はもとより海外でもわざわざマナーとして啓蒙(または自然発生的に)して普及したようですから、意識改革は容易ではないようです。

 

昨日は、ある仕事で大阪の日帰りだったのですが、彼の地でも全く普及していません。

私の知る限りでは、名古屋は比較的他の地よりもこの新マナーが見られる場所が稀にあります。

東京は、といえば、ほとんど見られません。

 

エスカレーターの歩行が原因の事故が年々増加しているので、真剣に考えなければならないと思います。が、あまり急いで強く推進すると、この件に関する考え方の分断が起こりそうでなんだか嫌だなと思っています。

 

この事例に似ていると感じるのが、能の拍手のマナー。初めて能をご覧になる方は、どこで拍手をして良いかわからない、というお声が必ずありますので、昨今は事前解説の中で提案することがありますが、そもそも拍手の決まりなんかないはず。

 

権威主義は全てが否定されるものではありませんが、例えば「本来は拍手は日本の文化ではないから、しないのが本当」と言ってしまうと、思わず感動のあまり拍手をしてしまった方(またはその注意を偶々聞いていなかった方が拍手をしてしまったとき)に、それ以外の多数のお客様はその方にかなり冷ややかな視線を浴びせることになります。

これは、実際に私も何度か見ている(観客として座席に座っているときにも)ことで、能をせっかく楽しくご覧頂きたいのに、お客様の中で分断が起こり、イヤな空気が流れてしまうのはとてももったいないことです。それ以来、私は拍手のことは明言しないようになってしまいました。

(もっとも、演者の側が拍手についてお客様にとやかく言うことがおこがましいのでは、と最近思います。ここは、演者ではない側の、金子直樹氏のような柔らかい語り口の解説者がご提案、という形でお話しをするのが良いかと。)

 

都内のある能楽堂の主催公演では、徹底してまるでお客様が教育されているかのように、演者が全て幕に入ってから拍手が起きることがほとんどで、マナーの良さに感服しますが、実は内心、なんとなく違和感を感じております。いわゆる、「同調圧力」という臭いを感じてしまうからでしょう。

 

エスカレーター問題でも、新マナー普及のスピードが意識改革に追いつかないと、いずれエスカレーターを歩行する人に罵倒する人が出るなどのトラブルが発生するのでは、と心配するのは杞憂でしょうか。


足袋は世につれ‥

息子の為に買っておいた足袋数足が、開封もせずに使えなくなってしまいました。ここ数ヶ月であっと言う間に成長し、今は仕方無く間に合わせで私の足袋を使っています。

 

私の足袋は、足型をとった特注品で高額の為、できれば息子は市販の物で合うものがあると良いのですが、どうやら私とはまた違うタイプの特殊な足型のようで‥。

 

ストレッチ足袋(ニット生地の伸縮性があるもの)ならば合うのでしょうが、能のハコビ(摺り足、運歩のこと)の稽古には不向きです。能のハコビは、足袋と舞台の板との間にかなり強い圧力がかかりますので、足袋が足からずれていきます。後退(バック)すると、場合によっては脱げていきます。また、摩擦熱で程なく穴が空きます。

 

最近、足袋の底地(舞台との接地面)に滑り止めのドットが付いている足袋も見かけますが、摺り足は不可能です。自然、足を少し浮かすクセが付いてしまいます。やはり綿が一番。今はかなり安価でも比較的しっかりした綿足袋が売っています。

 

私の好みは、裏地(足袋と足の接する面)は厚地のネル生地(ネル裏)。ネル裏は、一般には防寒用として流通しますが、季節を問わず使用します。

そして、コハゼ(足袋を止める金具)は3枚。

 

市販の足袋は、通常4枚コハゼですが、敢えて3枚に。宝生流の家元が代々誂えている老舗の足袋屋で私も誂えていますが、私が師事した先先代宗家の足袋が3枚コハゼだったこと(身の回りのお世話をしていたのでよく覚えています)、また、宝生流の明治生まれの名人が書いた随筆に、「能役者は昔は3枚コハゼだった」という記述を見つけ、職人さんに伺うと、やはりそうだったようです。4枚、5枚は踊りや歌舞伎の方の好みで、座る時間が長い能役者は3枚を好んだとのこと(もっとも、江戸だけの事情かもしれません)。

確かに、3枚コハゼは足首の締まりが少ない分、長時間の座姿勢には大変楽です。

足首が通常よりもすっきり見えるのも粋(いき)とされたようです。

 

江戸の流行の一部を歌舞伎役者が作ったのは周知の事実ですが、幕末には宝生大夫(家元)が履いた袴の形が粋、といってそれが流行ったこともあるということが拙宅の古い本に書いてあります。

なるほど、能役者の袴は仕舞袴といって能専用の仕立てで、両脇のマチが低い特殊な作り。足袋といい袴といい、他と違うことが珍しく粋だったのかもしれません。

 

「足袋は世につれ 世は足袋につれ」


松実会(石黒 実都師同門会)

今日は、日帰りで大阪・山本能楽堂にて、大阪市在住の石黒実都師のご社中発表会「松実会(しょうじつかい)」の助演。終演後、沢山の興奮冷めやらぬお弟子さんのスピーチあり、フラダンスありの楽しい懇親会にてご馳走になり、帰途についております。

実都さんは、私が東京藝大に入学時の修士1年生。学生時代から可愛がって頂きました。お互い辰巳孝師(辰巳満次郎師のご尊父)の同門であったので、西荻窪にあった師の稽古場に共に通った時期もあり良い思い出。

実都師のご尊父・故石黒孝師にも、私が高校生の時から名古屋と大阪の楽屋でお世話になり、幅広く教えて頂き、可愛がって頂きました。

そのお孫さんの石黒空(そら)くんが、東京藝大に本年入学されて、この道を本格的に歩もうとしています。今日の松実会にも、玄人の卵として地謡の端に座り、頑張っていました。

この子に、お祖父様から教えて頂いたことどもの一端を伝えなければ。

このようにして、代々の家と芸の継承とともに、恩返しの連鎖も脈々と続いていくのでしょう。

本日の能『絵馬』のシテの阿部様は、なんと9回目のシテ役!しかも面打ち(能の面は「作る」ではなく「打つ」と言い習わします)もなさっているので、毎回ご自分で打たれた面(おもて)を掛けてシテを舞われるという贅沢!

天照大神(アマテラスオオミカミ)役をめでたく演じられました。

私も、来年新年1月26日(日)に名古屋宝生会定式能にて、能『絵馬』を勤めますので、副地頭を勤めながら勉強させて頂きました。

また今回、阿部様は面ばかりでなく、『絵馬』の作り物(舞台装置)もご自身でお作りになりました。折りたたみ可能の素晴らしい出来!『絵馬』の作り物は当曲専用のかなり手の込んだ特殊な作りをしたお宮で、名古屋能楽堂では持っていない為、私が勤める折には阿部様の作品を拝借することに致しました。

来年の松実会は、鹿児島にて周年記念の大きな催しになるとのこと、楽しみにしております。


残像現象

昨日は、五雲会にて『玉葛』地謡出演、終演後、『烏帽子折』の斬組(チャンバラ)の最終調整稽古。

凜太郎も含め、皆さんだいぶ板に付いてきました。そして、大幅な変更はしませんが、少しずつ進化していきます。

 

以下は、私の独自の考えかもしれませんが、能の斬組は、「本気」の汗だくの演技をしてはいけないと考えています。あくまでも舞踊・所作事の流れであって、本当の武術やスポーツのような、目にも留まらぬ速さの動きをせず、優雅に品良く、しかし気迫を第一に、が信条です。

江戸時代の武士に求められた能を稽古する意味はまた違ったかもしれませんが、それ以前の、式楽化する前の能はどうだったのでしょうか。妄想は尽きません。

 

昔の時代劇の、スター俳優の殺陣は、美しく優雅です。歌舞伎役者からの転身が多かったことがあると思いますが、やはりどこか「芝居」なのです。まるで蝶が舞うような。その時代を経て、時代劇もだんだん「本気」の時代を迎えます(そして、残念なことに時代劇は風前の灯になってしまいましたが)。

 

「本気」の、目にも留まらぬ演技は、最初は観る人を驚かせますが、長いと徐々に目がスピードに慣れて飽いてきます。

映画『マトリックス』のキアヌ・リーブスの動き。人の「残像現象」を映像化して可視化したもの、と私は受け取っています。それを、映像の力を借りずに、生の舞台で観せるのです。

 

私は、幼少から様々な武道を稽古してきました。本当の武術の動きは、今、何をしたのかわからないのです。なぜ今相手が崩れるように倒れたのか、なぜ今背後に回れたのか。

その感覚で、10代の頃は能の稽古にあたっていきましたが、能の師は「早すぎて伝わらない」と。その意が腑に落ちるまで、かなり年月を要しました。「型がキレてカッコいい」のはもちろんそれだけでも価値がありますが、そこで終わりなんですね。

能はもっと奥を見ているのだと思います。


夕顔の花

甲府のお弟子さんの稽古の為、8時ちょうどのあずさ2号、いや、5号車中。

 

昨夜からだいぶ秋らしくなりましたね。寝苦しくないはずの夜に、なんだか昨夜は考えごとばかり浮かんで(大方楽しいこと)寝つけなかったので、ふと庭をながめると、大輪の夕顔が咲き誇っていました。

 

暗闇にぽっかりと白く浮かんだ夕顔の花。初夏に朝顔の苗と共に庭に植えて行燈作りにしました。朝顔ばかりが咲き乱れ、夕顔はなかなか咲かず。つぼみが膨らんで、漸く今夜咲くか、と待ちに待っても、力尽きてぽとりと悲しげに落花。

 

それもそのはず、夕顔は、今どきのように朝夕の気温差があると咲くことができるのです。

朝顔と絡まって咲く夕顔たち。今夜もたくさんの白き花が、己れ独り笑みの眉をひらいてくれそう。


京急線の事故

五雲会申合せにて『玉葛』の地謡の後、久良岐能舞台にて稽古の帰りの京急線。

先日の京急特急の大事故は、トラックの運転手さんが亡くなり誠に残念なことでした。乗客も30名超の方が怪我をされたとのこと、快復をお祈り致します。

あの日、私もあの特急に乗るはずで、桐生(群馬県)のお弟子さんの稽古の後、東武線のりょうもう号から京急線に乗り継ぎ、久良岐能舞台(京急上大岡駅至近)の稽古に直行する途中でした。

桐生の稽古場からの帰り道、お弟子さんに車で東武線足利市駅まで送っていただいているときに、車載テレビのニュースで大事故の速報を見て、

「今からこれに乗るんです!」と。

これはもう京急は当分無理だろうし、他社の振替乗車も大変な混雑になるだろうと予想して、急遽自宅に向かい、カーシェアで車を借りて、急ぎ高速道路を使って久良岐能舞台に向かい難を逃れたのでした。

お弟子さんも他の路線を使ってお休みはなく集まって頂き、通常通りお稽古ができました。

しかし、常日頃、新幹線や地下鉄でも先頭列車には乗らないように心がけていますが、今回、よりその思いを強くしました。


ぶらり途中下車の旅②

本日は、月並能にて能『江口』の地謡。

 

(続き)

瀬田の唐橋。瀬田の長橋ともいわれ、『田村』に名前が出てきます。交通の要衝だった為、古代から戦国時代まで幾たびも戦場として名前が出てきます。有名なのは、壬申の乱、源範頼・義経が木曽義仲を討伐、承久の乱。

 

橋自体は、コンクリート作りですが、擬宝珠(ぎぼし)は相当古いもののようです。

 

瀬田の唐橋から眺める琵琶湖の夕景は、「瀬田の夕照(せきしょう)」と言い、近江八景の一つ。今はもう風情はありませんが、瀬田川は清々しく美しい。

 

遂に守山の宿へ!この後、彦根城で能『望月』を謡うのです。『望月』の場面設定は、正にこの守山の宿。中山道の最終宿で、始まりは板橋宿。拙宅のすぐ前を旧中山道が走っていますから、このまままっすぐ歩けば家に帰れる!(7日間くらい?)

 

能『望月』に触れた札。登場人物は、全て架空で、舞台となる甲屋(かぶとや)という宿も実在しなかったとのこと。

 

このようにして私は、出張の舞台出演のほんの合間を見つけては謡の史跡を巡る旅をするのです。田崎甫さんとはこれで3回目。石清水八幡宮(『女郎花』『放生川』)、大伴黒主神社(『志賀』『草紙洗』)にも行きました。何かとご縁があります(というよりも無理矢理付き合わせてるのかもしれないけどね)。

次はどこに行けるかな。


ぶらり途中下車の旅①

昨日は、宝生能楽堂にて月並能申合せ後、大阪にて能『望月』の申合せ、京都に移動し、本日は彦根城能舞台にて、能『望月』(シテ 辰巳満次郎)の副地頭と仕舞『井筒』(シテ 金森秀祥)の地頭。

 

開演までの時間を利用し、後輩の田崎 甫さんと共に、京都から彦根間を途中下車して、謡跡巡りをしてきました。

石山寺、東大門。『源氏供養』の舞台。

 

硅灰石(けいかいせき)。これによって「石山寺」という名に。

 

紫式部 源氏の間。紫式部が参籠して「源氏物語」を記した部屋。

(続く)