盛会裏に

昨日、一昨日と、名古屋能楽堂にての涌宝会大会は、おかげさまで盛会裏に無事開催することができました。

ご助演いただいた能楽師の拘束時間が長くて申し訳ない限りですが、総勢30名の錚々たる皆さんは嫌な顔一つせず、私のお弟子さんのために陰日向に力を尽くしていただき、私をはじめ社中皆感謝の気持ちでいっぱいです。

さて肝心の社中の出来は・・・。自画自賛になりますが、皆さん本番が一番良い出来でした。

多少うまくいかなくても、プロになるわけではないのだから、と笑い飛ばして済ませることができる楽しみ方もあり、また、精魂こめて稽古に打ち込み、本番の失敗を次に生かそうという、能楽を「道」と捉えた楽しみ方など、その人のタイプによって色々な楽しみ方ができるのがこの趣味の良いところ。私も、お弟子さんそれぞれのタイプを見極めて、この趣味を長く楽しんでいただけるように日々考えております。

次回は、来年(令和2年)6月6日(土)7日(日)、東京・水道橋の宝生能楽堂にて15周年記念大会として開催いたします。


第105期生 初舞台!

昨日は、月並能(宝生能楽堂)にて能『熊野』のツレをなんとか無事勤め、精神的な開放感を得たところで、本日は宝塚大劇場へ日帰りで行き、今帰りの新幹線です。

 

片道4時間半の小旅行ですが、なんのその。名東高校能楽研究部での私の教え子であった、七城 雅(ななしろ みやび)さんの初舞台、しかも、今日は彼女の口上の日!この日だけはなんとしても死守して、無事観に行くことができました。

 

日比谷の東京宝塚劇場は度々足を運んでいますが、本場の宝塚大劇場は初めて。やや迷いつつも辿り着き、入場すると、男性の姿はちらほら。そりゃあ、平日の昼間ですからね。

 

 

ロビーに掲示された、105期初舞台生の写真。赤い花が付いている3人が、本日の口上者で、七城 雅さんは一番右の二段目。(テニスの松岡修造さんのお嬢様もこの40名の中に)

 

七城 雅さんの口上、はきはきして、溌剌として、笑顔も爽やかで大変良かった!これから張り切っていく、強い意思が感じられました。ラインダンスでも大活躍。オペラグラスで彼女ばかり追いかけて、親ばか、というよりも冷静に考えたら変なオジサンっぷりを発揮してしまったかも。ダンスのキレも素晴らしかった!(もう七城さんしか目に入っていません)

 

月組に配属されたとのこと、今後は、日比谷の宝塚でも観られるでしょうから、また楽しみが増えました。

 

以上の報告を聞いて、私の夢中な姿勢にドン引きの方もいらっしゃるかもしれませんが、このように、「最初から観ているお客様」の存在が、どれだけありがたいか(押し付けがましく聞こえますが)は、私自身が一番分かっているのです。

 

私自身、能役者として十代から舞台に立っていますが、その時からずうっと私の舞台を見続けて、見守って頂いているお客様が少なからずいらっしゃいます。感想を毎回お伝え頂く方、お差し入れやお祝いまで頂いてしまう方、ときには厳しいご意見を耳に入れて下さる方、ただ遠くから見守って頂く方、来られなくともチケットだけは買って頂く方、などなど、いずれも、私にとっては心の支えとなっていて、お客様に育てて頂いてきたことを実感するのです。

 

だから、七城 雅さんには、そういうファンや心の支援者を今後も大事にして頂き、ぜひともスターにのし上がっていってほしいという思いから、私もファンの一人として、名を連ねていきたいと思います。そして、いずれは能の良さも世間に知らせていただければ‥!

 

長刀をちょっと持たせるだけで「花」が感じられた当時高校生のあどけない七城 雅さんが、世阿弥いわくの「時分の花」を咲かせて魅力ある役者になっていくのを楽しみに遠くから見守ります。


疲れません

昨日は、山形県の庄内能楽館と希望ホールにて、40周年記念の大きい催し。今朝一番で羽田空港に戻って京急を乗り継いで水道橋に向かい、明日に控えた夜能『藤戸』の申合せ。その後一時帰宅して紋付を乾したり、折りよく帰宅した娘と戯れたりして、ついでにリクガメとフトアゴヒゲトガゲにもエサをやって、再び京急にて今度は久良岐能舞台へ向かい、お弟子さんの稽古。そして今22時半、やっと帰途につきました。

 

連日こんな調子でも全く疲れを知りません。それは、夜遅い時間のお付き合いを控えてしっかりと寝ているから。「付き合いの悪いやつ」という風評が立っていると思いますが、私もそう思います。でも、これだけは信じて下さい。「本当はご一緒したい」のです。でも、「家族第一」の為に「健康第一」。4、5年前の本厄のあたりは体調不良の日々でしたが、最近やっと自分の身体との付き合い方が分かってきました。優先順位を変えるだけで、こんなに日々充実するとは。40歳になった私に教えてあげたい。

 

逆流性食道炎、無呼吸症候群のケがあるので、お酒は20時過ぎたら飲みません(飲むときは、20時まではいっぱい飲みますけどね)。特に炭酸は控えます。寝る前3時間は食べ物も口にしません。身体の左を下にして寝ます。

これらを守って睡眠計測アプリで測りつつ寝ると、多少短い睡眠時間であっても、長い時間深い眠りについていることがわかります。

 

皆さんそれぞれが様々な健康法をお持ちかと思います。お健やかに!


津島・天王川公園の藤

名古屋出張の合間に、津島祭りで有名な、天王川公園の藤を見に、例のカーシェアを使って強行軍を敢行しました。

残念ながらまだ三分咲き。「九尺藤」という名ですから、これが満開だと3メートルくらいの長さで風に揺れるそうです。

 

それでもきれい。

 

こちらは満開。「たおやか」、というよりも「たわわ」なぶどうのよう🍇

 

当然独りだったので、団体客の写真を撮ってあげた代わりに撮ってもらいました。

 

優雅な生活に見えますが、この後このまま名東高校能楽研究部と愛知教育大学能楽部の稽古。そして車を名古屋駅に返して、最終新幹線で帰宅!なかなかの強行軍でしょ。


『志賀』有難うございました

昨日、五雲会にて能『志賀』を、皆様のお陰でなんとか無事勤めました。ご多用中や遠路のご来場、誠に有難うございます。

 

当日お客様に、6月16日(日)名古屋宝生会定式能『草紙洗』シテと、6月29日(土)豊田市能楽堂『芦刈』シテ、8月17日(土)硯修会『熊野』ツレのパンフレットを挟み込みさせていただきましたが、「名古屋のチケットはここ(宝生能楽堂)で買えますか」と、数名の方から早速宝生会事務所にお問い合わせいただいたようで、大変嬉しく思います。チケットをご用意しておけば良かった、と悔やむばかりですが、パンフレットに記載の連絡先、または当ホームページ内「お問い合わせ」までご連絡頂けましたら、ご用意致しますので、ご遠慮なくお申し付けください。

 

またのご来場を心よりお待ちしております。


失せ物

今日は朝から、明後日五雲会『志賀』の申合せ。終了後、回転寿司で栄養補給して散髪に行き、先ず洗髪された後、いつもの如く謡を覚えながら散髪されようと、一度預けた鞄を出してもらいに行ったら、なんと謡本の入ったポーチが見当たりません!

狼狽して、頭はビショ濡れのまま、「ちょっと失礼!」と美容院を走り出て、さっき立ち寄った回転寿司屋さんに走って行き店長さんに聞くも見つからず、能楽堂に電話して内弟子さんに探してもらうも見つからず、妻に電話して自宅を探しても見つからず‥。

散髪を終えて、念の為歩いた道を戻り能楽堂を探しても、急ぎ帰宅して自分で探してもとうとう見つかりませんでした。

 

久しぶりに失せ物をしてしまいました。しかも、仕事の道具で、長年の様々な書き込みがある大事な謡本。なんと、その中に、明後日舞う『志賀』も入っているのです。

まあ、全部覚えているので大丈夫です(というのはあまりにカッコつけ過ぎか‥)。しかし、いつかは忘れていくものですから、我々は常に謡本を持ち歩いているので、その分失くすリスクも大きいのです。

幸い、書き込みの大事な部分(「型付(かたつけ)」と言って、舞の動きを書いた伝書のようなもの)は、必ず二箇所に書き付けているので、自宅の大きい謡本には残っているのですが、無くした持ち歩き用の小さい謡本は、大変愛着のある、初心を振り返ることが出来るようなもの。約30年前、高校1年生の時にこの道を志したときに、両親に負担をかけまいと朝刊の新聞配達をして貯めたお金で買ったもの。桐箱入りで180冊揃った和綴じの豪華な作りで、当時20万円位かと。

 

失くしたポーチには、近いうちに勤める曲が全部入っています。『草紙洗』『芦刈』『当麻』『熊野』などなど9冊。

フリース素材のオレンジ色の派手なポーチです。もしどこかで拾われたらご一報お願いします!御礼ははずみますよ!


志賀明神参詣

(続き)

2月末の京都囃子方同明会出演の折に、前日の申合せ終了後、得意のカーシェアリングを利用して大伴神社(志賀明神)に参詣してまいりました。

京都から険難な山道を超えて滋賀県側に降りて、「まさかこんなところに」というような場所に彼の神社はありました。助手席に後輩の田崎甫さんに同乗してもらったのでなんとか行けたようなもの。もし私一人だったら、途中で引き返していたことでしょう(前回の投稿の私が入り込んだ写真は、甫さんに撮影してもらいました)。

 

大伴神社の鳥居。

 

例にもれず、謡曲史跡保存会による立て札。

社殿は、残念ながら手入れが全く行き届いていない状態の為、撮影は憚られました。『志賀』の能を勤めさせていただくことの御礼を述べて拝んでまいりました。

このように、「神様」系や「幽霊」系の能を勤めるときは、できる限りゆかりの神社仏閣やお墓にご挨拶に伺うようにしております。

 

そして、翌日の京都囃子方同明会能当日、ホテルから京都観世会館へ向かうべく、武田孝史氏・澤田宏司氏・田崎甫氏と地下鉄駅へ向かって歩いていると、なんと祇園祭の有名な山車の一つ、「黒主山」の収蔵庫が!

今は高級マンションの中に大事に収められています。

 

今年は、つくづく大伴黒主さんにご縁がある、と実感します。実は、今年6月16日(日)名古屋宝生会定式能にて、能『草紙洗』を舞います(詳細は後日当ブログにてご覧ください)。私自身は小野小町役ですが、相手役のワキは大伴黒主。史実ではないのに、お名前の「黒」という文字からの連想か、『志賀』では清新な神様ですが、『草紙洗』では悪役に仕立てられてしまっています。

現在は、『志賀』と『草紙洗』を並行して稽古している状況。複雑な気持ちですが、申合せ(リハーサル)は明後日木曜日。そろそろ『志賀』に集中して稽古して、神様力を高めたいと思います。


恒例の素謡会

去る3月31日(土)神谷舞台にて、恒例の「東京涌宝会素謡会」を催しました。上は、『七宝』『鶴亀』の様子。息子と娘にそれぞれシテ、ワキを謡わせ、参加者全員で『七宝』続けて『鶴亀』を無本にて謡いました。

涌宝会では、ベテラン、初心者を問わず、『鶴亀』は無本、と決めております。こうして回数を重ねるうちに、謡本に頼らずとも謡えるようになってくるものです。

 

これは、『草紙洗』の様子。最前列が立衆、2列目がシテ・子方・貫之・ワキです。

 

 

素謡のみ10番程の会。これを、昨年までは私一人で地頭をしていました(予算の都合上です)が、参加者が増え(て予算に少し余裕ができ)た為、今回、辰巳和磨師に半分の曲を謡って頂きました。少し休むことができて、本当に助かりました!

 

終演後は、屋形船を経営する向かいの寿司屋にて懇親会(反省会ではありません)。名古屋・米沢・塩尻・甲府・前橋などの遠方からもご参加頂き、各地交流ができたようで、良い会になりました。

 

年一回の大会とは別に、このような小さい会で細かいご指導もしてまいります。


艷やかに

一昨日の甲府の稽古にて、武田神社の桜と奥に見えるのは能舞台(甲陽武能殿)。

 

一昨々日、宝生流能楽師・金森良充さんの結婚披露宴の帰りに妻と歩いた千鳥ヶ淵の夜桜。彼を祝うかのように満開。艷やか。


卒業式

昨日は、凜太郎の卒業式。感慨深いものがありました。本人にとっての6年は長く感じたようですが、親にとっての6年はあっという間でした。

身長は母親(私の妻)を超え、声変わり真っ最中。中学校の新しいシューズは、私の靴よりも大きいのにたまげました。

急激な成長の為、東京と名古屋の定式能の子方は全て返上して、残るは9月23日(月祝)の 「第6回 和久演能空間」の『烏帽子折』の牛若丸役のみ。舞台上で牛若丸が元服して、悪党を倒す曲(その「悪党」は野村萬斎さんと私)なので、家元も「良いでしょう」とのことで、予定通り勤めさせます。

しかし、私が中学生の父親とは!