11月夜能『殺生石』を舞います!
来月11月30日(日)「夜能」(宝生能楽堂)にて、能『殺生石』を舞います(詳細は、上記写真をクリックしてください)。
私にとって『殺生石』は、10年程前に名古屋宝生会にて勤めて以来、学生鑑賞能などで何度か舞っている、縁のある曲です。
宝生流では100年近く石の作り物を出す演出を止めていましたが、20年程前に、先代の家元(宝生英照師)が復活させて以来、石を出すことが多くなりました(当時家元の内弟子だった私も石の作り物の制作に携わりました)。
石を出さないときは、揚幕を石と見立てて、幕際に床几に掛けて謡を謡うのですが(これは『白頭(はくとう)』の小書(特殊演出)の演出)、やはり、大きな石の作り物が舞台に出たほうが、お客様は風景を想像しやすいのです。今回も、石の作り物を出す演出で勤めます。
平日の夜、仕事帰りに能を観にいらしてください!
チケットのお申し込みは、当ホームページお問い合わせまで。
神戸と京都
本日は、神戸と京都でそれぞれ催しの為、新幹線にて移動中です。
六甲学院創立80周年記念の催しにて、新作能『復活のキリスト』を、先ごろのイタリア公演以来の再演。シテはもちろん宝生和英宗家、やはり私はマグダラのマリア役を勤めます。
そして、終演後、急ぎ京都に向かい、有斐斎 弘道館にて、「宗一郎 能あそび」に出演致します。同世代の観世流シテ方・林宗一郎師からお招き頂いた、興味深い催し。どんなことになるのか、楽しみです。
この京都にての「宗一郎能あそび」と、先日お知らせした、明日の東京にての能『松虫』の両方にご来場頂く方もおいでで、心より感謝致します。
「婦人画報」11月号 ご覧下さい
「婦人画報」の今月号(11月号 9月30日発売)に、12ページにわたって、先日のイタリア・バチカン公演の様子や、家元(宝生和英師)のインタビュー記事が掲載されています。
私の勤めた、『翁』の千歳や、『復活のキリスト』のマグダラのマリア役の写真も、かなり大きく掲載。
私自身は、掲載されたことは存じませんでしたが、お弟子さんのお一人が、美容院で偶々ご覧になって、いち早く耳に入れてくれました。
良い写真と記事で、一見の価値あり。是非ご覧下さい。
バチカン勧進能 記事
上記をクリックして頂くと、バチカン勧進能の復曲能『復活のキリスト』の舞台写真2枚とともに、報道記事をご覧頂けます。2枚目の写真を拡大表示して頂くと、右側に座っている二人のうち、左側の若い出で立ちが私(マグダラのマリア)です。
会場のカンチェレリア宮殿は、バチカン所有の世界遺産の為、個人によるSNSへの投稿は禁止されておりますので、残念ながら私自身が撮影したものは掲載できません。
他にも、以下をご覧下さい。
無事帰国しました
昨日、無事イタリア公演から帰国致しました。
例の自撮り棒を活用した1枚。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂のクーポラ(ドーム)をバックに。
今回のイタリア行では、自撮り棒が大活躍で、かなりの枚数を撮影したのに、自分一人で撮ったのはこれ1枚。あとは、全て仲間の能楽師がいっぱい写っていて、我々には著作隣接権と肖像権の問題がありますので、ここには載せられないのです。
しかし、自分一人だけで撮るって、意外と恥ずかしいものですね。
この帽子は、あまりの日差しの強さに、ヴェネツィアで急遽購入したもの。この日のみは終日観光できたのですが、翌日からは『翁』の千歳と、『復活のキリスト』のマグダラのマリア役が控えているので、日焼けするわけにいけません。広幅のを選びました。更に日焼け止めを塗りまくり。
ところでこの自撮り棒、往路のトランジットの、フランクフルト空港にて手荷物検査に引っかかり、「何だこれは」と止められる始末(予想はしていましたが)。
長く伸ばし、スマホをセットして使い方を示し、決して特殊警棒などの武器ではないことが分かると、笑顔で「OK」と。肝を冷やしました。
怒涛の日々2
前回の続きです。
『通盛』のツレは、平通盛の妻・小宰相の局役。第一声で夜の鳴門海峡の景色を作り上げなければなりません。他曲には見られない節(メロディー)が数々あり、この役の重要さを表しています。『松風』のツレのように、シテとの同吟が続く、責任ある役で、心して稽古しております。
翌週の『邯鄲』は、夢の中で帝王となり、50年の栄耀栄華を極めて大宮殿で舞を舞いますが、夢から醒めるとただ粟の飯が炊ける束の間のことだった、という、「悟り」と裏腹な「無常感」を伴った名曲。凜太郎は、舞人として、私の夢の中に登場して舞を舞います。
この『邯鄲』が済んだら、食事の間も無く帰京し、翌朝からイタリアへ発ちます。8日間の旅程で、『翁』の千歳を2回と、『復活のキリスト』のマグダラのマリア役1回。全て家元のシテによる相手役で、光栄なことです。
『翁』は、各役とも、1ヶ月乃至7日間の別火精進をして身を清め、肉食・飲酒・女色を避けて臨む、「能にして能にあらず」と云われる神聖な神事の曲。イタリアに行っても、私は残念ながらワインは楽しめません。
『復活のキリスト』(宝生九郎作)は、54年振りの上演となる、宝生流公認の新作能。シテはキリストで、私の勤めるツレは、マグダラのマリア役。今回、家元とご相談しつつ、新たな演出を作りあげていく作業に時間をかけました。
今まで、辰巳満次郎師の数々の新作能では、4曲ほど大事なツレを勤めさせて頂いておりますので、少しその経験が役立っているかもしれません。
6月末に帰国すると、いよいよ演能空間の『自然居士』に専念。人買いから足許を見られて様々な芸を要求されますが、両親の追善のために我が身を売った少女を救わんと、散々に痛ぶられながらも、芸を見せ続けます。舞うことに生き甲斐を感じる私としては、大変やり甲斐のある曲。
同時上演の凜太郎の能『花月』も、『自然居士』同様、芸づくしで、お客様を楽しませます。
怒涛の日々1
ブログの更新が滞るのには、私にしかわからない理由がありますので、いい訳にしかなりません(まあ、いつものことですね)。
去る5月中旬には、能『巴』を勤め、その後、涌宝会大会(私の社中発表会)の為に、お弟子さんの最後の詰めの稽古。
涌宝会大会にては、私自身も舞囃子『氷室』と『巻絹』を勤めました。
それに加えて、下記の役を並行して稽古してきました。
明日から7月にかけて、更に以下の怒涛の日々が続きます。
◆6月11日(日)能『通盛』ツレ(月並能 宝生能楽堂)
◆6月18日(日)能『邯鄲』シテ(名古屋宝生会定式能 名古屋能楽堂)
◆6月21日(水)『翁』千歳(イタリア・ヴィチェンツァ古典フェスティバル オリンピア劇場)
◆6月23日(金)『翁』千歳(イタリア・バチカン勧進能1日目 カンチェレリア宮殿)
◆6月24日(土)復曲能『復活のキリスト』マグダラのマリア役(同上 2日目)
◆7月23日(日)能『自然居士』(第4回 演能空間 宝生能楽堂)
名古屋の『邯鄲』の子方は凜太郎で、演能空間の『自然居士』の他のもう1番は、凜太郎のシテによる能『花月』です。
【つづく】
イタリア公演詳細
前回投稿の、イタリア公演の詳細をお知らせいたします。
(本日は、エイプリルフールですが、ウソではありません。)
【6月21日 イタリアヴィチェンツァ公演】
能『翁』
シテ 宝生和英、三番叟 茂山千五郎、千歳 和久荘太郎、笛 小野寺竜一、小鼓 上田敦史、飯富孔明、清水和音、大鼓 安福光雄、地謡 武田孝史、野月聡、金森隆晋、川瀬隆士、辰巳和磨、後見 小倉健太郎、田崎甫
能『羽衣』
シテ 金剛龍謹、ワキ 大日方寛、笛 小野寺竜一、小鼓 上田敦史、大鼓 安福光雄、太鼓 澤田晃良、地謡 武田孝史、小倉健太郎、金森隆晋、田崎甫、辰巳和磨、金井賢郎、後見 宇高竜成、和久荘太郎
【6月23日 バチカン勧進能1日目】
能『翁』
シテ 宝生和英、三番叟 茂山千五郎、千歳 和久荘太郎、笛 小野寺竜一、小鼓 上田敦史、飯富孔明、清水和音、大鼓 安福光雄、地謡 武田孝史、野月聡、金森隆晋、川瀬隆士、辰巳和磨、後見 小倉健太郎、田崎甫
能『羽衣』
シテ 金剛龍謹、ワキ 大日方寛、笛 小野寺竜一、小鼓 上田敦史、大鼓 安福光雄、太鼓 観世元伯、地謡 武田孝史、小倉健太郎、金森隆晋、田崎甫、辰巳和磨、金井賢郎、後見 宇高竜成、和久荘太郎
【6月24日 バチカン勧進能2日目】
能『翁』
シテ 宝生和英、三番叟 茂山千五郎、千歳 田崎甫、笛 小野寺竜一、小鼓 上田敦史、飯富孔明、清水和音、大鼓 安福光雄、地謡 武田孝史、小倉健太郎、和久荘太郎、川瀬隆士、辰巳和磨、金井賢郎、後見 辰巳満次郎、野月聡
新作能『復活のキリスト』
シテ 宝生和英、マグダラのマリア 和久荘太郎、ヤコブの母マリア 田崎甫、笛 小野寺竜一、小鼓 飯富孔明、大鼓 安福光雄、太鼓 観世元伯、地謡 辰巳満次郎、野月聡、金森隆晋、川瀬隆士、辰巳和磨、金井賢郎、後見 武田孝史、小倉健太郎
イタリア公演
桜の便りが聞かれるようになりました。
久々の投稿、サボっていたわけではありません。3月初めの能『吉野静』に向けて、精神が集中していました(言い訳?)。
皆様にご報告。
6月19日より1週間、宝生会主催のイタリア公演に参ります。
ヴィチェンツァにて1公演の後、バチカンにて2公演。
その中で、私は、『翁』の千歳を2回(シテ 宝生和英宗家)、新作能『復活のキリスト』のツレ・マグダラのマリア役(シテ 宝生和英宗家)を勤めます。
詳細は、近日お知らせいたします。
愚か者よ…
徹夜で黒川能を観て帰京し、羽田空港から子ども達の幼稚園のお遊戯会に直行したことは昨日お伝えしました。
我が子の成長を実感してまなじりが熱くなり、ごほうびに外食して帰ったあとに、1日早く豆まきをする予定でしたが、今から考えると40時間ほどほぼ一睡もしていなかったので、豆まきをする気力が無くなり、子ども達をお風呂に入れて寝る準備にかかりました。
娘と布団に入ると、いつものおもしろいお話をしてくれとせがむので話し始めましたが、途中で気を失ったらしく、明朝妻から聞いた話では、
娘は「おとうさん、ゆさゆさしても起きないから、電気の紐をカチカチ引いてあげて、ドアを閉めてあげた」
と言って、おかあさんの布団に入ってきたそうです。
黒川能の最中は祭の高揚か、不思議と眠くならなかったのですが、子どものお遊戯会では、自分の子どもの出番以外は睡魔を払いのけるのに必死で、心の中で数珠をサラサラ押し揉んでいました。
が、帰宅したら遂に天に召されるように眠りについてしまいました。
翌朝、スッキリと目覚めて復活!元気に岡崎と名古屋のお弟子さんの稽古に行って帰ってきました。
まだまだ徹夜で試験勉強もできると自負していましたが、無理ですねこれは。
マッチ(近藤真彦)の古い歌がよぎります。
「愚か者よ、今夜は、眠れよ」