2回目の声帯ポリープ摘出手術④
(続き)
よって、全く重篤な病気の手術ではありませんので、どうかご心配なくお願い致します。「わしゃ心配しとらんよ」という方が多数を占めると思いますが、中には、かなり衝撃を受けて下さる方がいらっしゃるので、命に関わる病気ではないということを、しっかりご説明しておきたくて、このポリープシリーズは第4弾に至ります。
全身麻酔というリスクはありますが、ポリープ以外の手術も含めて、今まで数回やっても、ちゃんと元気に覚醒していますので、全く心配していません。
前回の手術及びリハビリは大成功で、声が能く出るようになりましたので、今回のリハビリでは、逆にその成功経験が仇にならないよう、慎重に進めようと思います。大体がすぐ調子に乗る性質、早めに声を出したりしないよう、意識して注意します。
前回のように、麻酔から覚めた瞬間に「もう終わったんですか⁈」と叫ばない練習や、声を出さないうがいの練習、寝言を言わない練習(所詮無理ですが)、声を出さないで謡を覚える練習などを、今から日常生活で癖を付け始めています。
以上で、ポリープシリーズを終了いたします。ご愛読ありがとうございました。
2回目の声帯ポリープ摘出手術③
(続き)
1週間の沈黙療法も虚しく、血豆はポリープに昇格。晴れて(腫れて)手術が決定しました。このポリープが手術日迄に引っ込めば、手術の必要はなくなるとのことですが、その確率は5%程度。密かに一縷の望みをかけていますが、所詮無理なのは、自分が一番分かっています。
沈黙療法後、日に日に、自分でも驚くほど声が出るようになってきたので、治ったのでは、と思う時があるのですが、診察を受けると、その答えはバツ。おそらく、身体がポリープの存在に順応して、勝手に工夫をして声が出るようになっているようです。
息が洩れているのが、自分でも能く分かります。出す息全てが、声(音)にならないのです。だから、以前は一息で謡えた箇所を、人にはわからないように、途中で息を盗んで続けて、一息で謡っているように聞かせています。その為、腹の力や圧力が倍くらい必要で、誠に疲労します。
現在ポリープ氏は、2枚ある声帯の片方だけにいらっしゃるのですが、放っておくと、声帯同士ががぶつかり合って、もう片方にもポリープ氏の相棒が出来て、声帯がきっちりと塞がらなくなり、遂には声が出なくなる、というシステム。いつそうなるかわかりませんが、近い将来の話なので、今のうちに取ってしまう、という主治医のご判断です。
(また続く)
2回目の声帯ポリープ摘出手術②
(続き)
今回手術が決定したのは、今から2ヶ月半前の9月末。大事な役(面・装束を付けて演じる一役)や、地謡が12月まで続いており、お客様に「あんなに大きな声出しちゃって大丈夫かしら」などと、ご心配を頂きながら舞台を見て頂くのは良くないと思い、出来るだけ公言しないようにしてきました。
前回は、生まれて初めてのポリープですから、声が出なくなってきたり、謡うと極度に疲れるのは、年齢のせいかと思っていましたか、そうではありませんでした。
しかし、今回は、「あの時だな」という、ポリープのきっかけを自覚しております。8月と9月に、自身の稽古、社中の稽古、舞台出演で、睡眠を削ってかなり無理をしたのです。
声が出なくなって、9月中旬に診察を受けたら、「和久さん、血豆ができちゃってますねえ。最近出血したでしょ。」と。出血に関しては、全く自覚がありません。主治医曰く、この血豆がうまく吸収されれば、ポリープにはならないので、1週間の沈黙療法をしましょうとのこと。
かくて9月末の1週間、お弟子さんのお稽古を全て休み、その期間の唯一の大事な舞台(ワキ方・御厨誠吾師主宰の会にての舞囃子『松尾』)があり、それだけは手加減せずに勤めました。
(続く)
2回目の声帯ポリープ摘出手術①
皆さまにご報告です。
今月末に、2回目の声帯ポリープ摘出手術を受けることとなりました。
前回は、約3年前。同じ都内の大病院ですから、もう慣れたものです。
前回の手術では、舞台をいくつか代役をお願いしたり、お弟子さんのお稽古を丸々一か月間休ませて頂くなど、少なくないご迷惑をおかけしました(そして収入が一か月間、全く途絶えてしまいました‥)。
しかし今回は、ちょうど年末年始にかけて入院・手術及びリハビリのスケジュールを組むことができましたので、舞台もお弟子さんのお稽古も、一つとして休むことはありません(手術が決まった後に、この期間内のお仕事をご依頼頂いたものは、全てお断りしています)。
しかし、実際には、お弟子さんのお稽古に関しては、12月の前半と1月の後半にまとめて、無理な日取りをしています。
また、リハビリ期間中にも舞台出演がいくつかあるのですが、フルボイスで謡うことは主治医に止められていますので、控えめに謡うことになります。
そういう意味では、やはり多少なりともご迷惑をおかけすることになります。
(続く)
声帯ポリープの原因
本年、大厄の年(数えで42歳)ですので、年明けに厄払いに参りましたが、それでもやはり身辺色々あります。
これ位で済んだ、と考えるべきでしょうが、身体の変わり目ということでしょうか。
声帯ポリープに関しては、よくよく思い起こせば、ここ2年くらい裏声が出にくくなったとは感じていました。
能の謡では、裏声は一切使いませんが、得意だった目玉のおやじ(ゲゲゲの鬼太郎)の物まねの声がかすれてきたのです。
昨年11月末の広忠の会における能『井筒』は、分不相応なお役を頂戴しましたので、時間をかけて精魂込めて稽古に打ち込みました。しかし、本番一週間前の申合せが済んだあたりから重い風邪をひいてしまい、声が出にくい状態での当日までの稽古でかなり喉に負担をかけていました。
どうもこのあたりから、声のスタミナが無くなってきて、枯れやすくなり、また、謡った後に疲れを感じるようになっていました。
また、声の伸びが悪くなってきたことと、宝生流で多用する「甲グリ(カングリ)」という高音を出すのに、以前よりも息の圧力が必要になってきたので、これはおかしいと思い、普段通っている耳鼻咽喉科を受診したら、声帯ポリープであることがはっきりして、山王病院を紹介されました。
この病院は、耳鼻咽喉科とは別に「ボイスセンター」という、発声専門の科を擁していて、後から分かりましたが、東京在住の能楽師の多くがここで手術を受けていました。能楽師のみならず、著名な歌手・芸能人・声優・オペラ歌手なども大勢受けているようですので、それを聞いて、安心して手術を受けることが出来ました。
さて、ポリープが出来る原因ですが、喉を締める悪い発声が原因ということがまことしやかに言われます。
しかし、色々調べたり、医師のお話しをうかがうと、喉を開いて発声するオペラ歌手などでもポリープが出来ることからもわかるように、「喉を締める発声が悪いから」ということが原因の中心では無いそうです。
ポリープができやすい「体質」ということはあるようですが、あくまでも「酷使」が原因。
聞けば聞くほど、能楽師でも囃子方、狂言方、シテ方他流問わず、結構私より若いうちに同じ手術をした方も沢山いらっしゃることがわかり、色々な方にお話を伺うことが出来て、励まされました。
中でも、当流の先輩、金森秀祥氏には親身で懇切丁寧なお話をうかがい感謝しております。
「厄年」に手術を受けている方が多いのも不思議。歳の変わり目で、今まで通りにはいかないということでしょう。
自らを鑑みれば、毎日、朝起きて登校前の子供の稽古の後、自分の稽古。その後ひねもすお弟子さんの稽古を全力・フルボイスで発声していたのですから無理もありません。
今後は、本番の舞台以外は「ちょっとだけ」加減しようかと考えています。お許し下さい。
お灸
今週土曜日は、五雲会(宝生能楽堂)にて能『善知鳥』のシテを舞います。
お役が近づいてくると、稽古も本腰が入ってきて、体調管理に一層気を配るようになります。
包丁を持つことや、洗い物などは避けるようになります(元々滅多にやってないのでは、と家族の声が・・・)。
駅などでは、普段はエレベーターやエスカレーターは使わず階段を駆け上がるのが慣いですが、お役が近づくと、上りはいつも通りですが慎重に、そして下りに関しては階段はまず使わず、やむなく階段の場合は、手すりに手を添えて下ります。駆け込み乗車など、もってのほか。
お酒をやめる、というのはよく聞きますが、私はやめません(普段からそんなに飲みませんのでね)。
とにかく、神経質なくらい、怪我や風邪には注意します。これも、2度の声帯ポリープ摘出手術での経験から、もともと用心深い性質にますます拍車がかかりました。
舞台が近くなくとも、日常欠かさないのは、寝る前の入念なストレッチとお灸。
昔ながらのもぐさをひねって直接肌に置くタイプではなく、台座が付いた比較的安全なもの。15分間ほどかけて30箇所くらいにお灸をすえます。煙が目に染みることも!
1000個入ったものを1ヶ月半程で使い切ってしまいます。
お灸の間には、手塚治虫先生の作品を読むと決めています。理由は・・・、特にありません。
「塵も積もれば〜」で、『鉄腕アトム』や『ブラックジャック』は全巻読破。今は『火の鳥』に夢中です。
寝る前15分間のリラックスタイムです。
やっと北区
今朝、8日ぶりに、東京都北区の自宅に帰宅しました。
さすがに、国内の出張でこんなに長いのは初めてで、海外旅行並みの荷物を3つのキャリーバッグに詰めて、常宿の名古屋のホテルに送り、用が済んだ荷物から少しずつ送り返す方式。自分では一切洗濯しません。ホテルの部屋に干す場所も無いし、そんな時間も無いので。
大学生の稽古、大学生の発表会の監督、素人会の申合せ、薪能、素人会、高校の合宿、桜山の稽古、という風に、今回うまく繋げることができました。
薪能(岩村城址能)では、仕舞『砧』も舞ったので、通常の紋付・袴の他に、舞用の紋付・袴も必要で、より荷物が増えました。
しかし、なにも仕事ばかりしていたわけではありません。合間を利用して、恩師に会いに行ったり、母・妹、古い友人、はたまた新聞記者の方などとお食事を共にしたりなど、大変有意義に過ごせた8日間でした。
毎年恒例の名東高校の合宿の日のみは、ホテルに荷物を預け、合宿所に部員や顧問と共に宿泊。大浴場では男子生徒と裸の付き合いもします。夜は花火大会と枕投げ(⁈)
今朝の始発の新幹線で帰京し、そのままかかりつけの病院へ。声帯ポリープ手術後の経過観察です。大変良好で安心。どんどん、もっともっと声を出しなさいと言われました。
そして、ただ今京急線にて横浜方面へ。月3回の久良岐能舞台講座の稽古です。
来週末には、少し休みが取れて、娘とディズニーシーへ!それまで、熱中症に気をつけて元気に頑張りたいと思います。
元気です
生きてます。すこぶる元気に。全く病気無しです。
12月の声帯ポリープ切除手術後から4か月経ち、声もフルボイスで平気で出しています。
久しぶりの投稿。いつものことです。ご心配頂いた方、すみません。
3か月間頻繁に投稿していたかと思うと、3か月間音沙汰なし、というパターンが出来上がってきているような気がします。
なぜこうなるのか、私にもよくわかりません。
ただ言えるのは、投稿しなくなるきっかけは必ずあります。
きっかけは一つではなく、多岐にわたりますが、一番多いのは、「無言の抗議」かもしれません。
「世の中」の色々なことに対してのこともあれば、「身近な人」に対してかもしれないし(?)。
正に、「投稿拒否」。
大事に思っている方が亡くなった時も、投稿を控えてしまいます。「巨星落つ」などと吹聴したり、生前仲良かったことを世間にアピールなどせず、静かに悼み、半旗を掲げたいと思います。
さて、新年度に入り、昨日は川村学園女子大学の授業が始まりました。「能の謡と仕舞」という名の授業で、水曜日に4・5限連続にて謡と仕舞を指導します。今年度の履修登録者は7名。第1回は、「鶴亀」の謡と、仕舞の基本動作を稽古しました。皆、なかなか筋が良く、話も一所懸命聞いてくれて、私もやりがいがあります。
6月2日(土)には、宝生能楽堂にて開催する私の同門会・涌宝会の大会があり、朝一番で連吟「鶴亀」を無本にて発表してもらいます。これもなんと、カリキュラムの一つで、実技試験を兼ねています。
授業帰りの電車で、名東高校(名古屋市立)能楽研究部の新入部員が8名入ったと、部長から嬉しい報告!来週みんなと会えるのが楽しみです。
甲府謡初
一昨日1月19日(金)、山梨県甲府市・武田神社の甲陽武能殿楽屋にて、恒例の謡初を致しました。
常は、屋外能舞台で稽古していますが、冬季は凍えますので、楽屋にて。
先日の久良岐能舞台にての謡初同様、声帯ポリープ切除手術後、どの程度リハビリが進むか判断が難しかった為、私は地頭に入らず、皆さんだけで謡って頂きました。皆さんのご厚意に感謝。
写真は、連吟『鶴亀』の様子。涌宝会(ゆうほうかい。私の社中会)では、常に『鶴亀』は無本(謡本なし)で謡いましょう、ということにしています。
他に、連吟『枕慈童』『紅葉狩』。そして留めに、附祝言(つけしゅうげん)『五雲』。これだけは私も同吟しました。
終演後は会食。6月1日(金)2日(土)宝生能楽堂にて開催予定の「涌宝会大会」を視野に入れて、皆さんの発表する曲をご相談しつつ、楽しい食事会でした。
久良岐能舞台 謡初
昨日1月11日、久良岐能舞台・宝生流講座の初日にて、謡初を致しました。
写真は、素謡『鶴亀』。他に、素謡『橋弁慶』・『猩々』。
例年ですと、私が全曲地頭(地謡の統率者)を勤めるのですが、今回は、私が声帯ポリープ切除手術後、まだ謡のリハビリが進んでいないことが予想されたため、講座生の皆さんのお計らいにより、皆さんのみで謡って頂きました。
私は、唯一の観客として見所(けんしょ。観客席のこと)で拝聴。ハラハラすることもなく、飽きずに聞かせて頂きました。私が謡わなくても、十分に謡えることが分かり、大変嬉しくなりました。今後は、少しずつこのような試みをしていくのが良いと実感。今後の発展が楽しみです。
終演後は、和気藹々とお食事会。
現在、講座生は9名。月3回木曜日の17時からお稽古しています。遅い時間帯も可能。初心者も、ご経験者も大歓迎ですので、ご興味お持ちの方は、ぜひご見学にお越しください。
お問い合わせは、当ホームページ内お問い合わせ、または、久良岐能舞台(電話045-761-3854)まで。