新作能の意義 1
8月21日(火)国立能楽堂にての、新作能『散尊(サムソン)』の稽古が、順調に進んでいます。
当ブログ(5月20日)でもお知らせした通り、シテのサムソンは辰巳満次郎師、通常の能ではワキに相当する役柄のミルトンを金井雄資師、ツレのデリラを私が勤めます。
先日の下申し合わせでは、長々のセリフをスラスラと謡いこなした金井師はさすが。直面(能面をかけない)の盲目という、類例の無い役柄を既に雰囲気たっぷりに作り上げています。
はたまた満次郎師は、ただでさえ常人では考えられないほどの多忙の中、シテとツレの謡と型を、大変面白く作り上げました。
下申し合わせ終了後の、作者や演出家の新しい注文に対しても、的確な面白い演出のアイディアがポンポン飛び出てくる満次郎師の頭の中は、いったいどうなっているのでしょうか。
ところで、私ことデリラは、通常の能の稽古の通り、出来上がった型付(台本・演出書)に従って、作者・演出家の意図を汲み取って演じるのみですが、既存の古典の能と明らかに違うのは、過去に誰一人としてこの役を演じていないということです(当たり前ですが)。
大袈裟に、誤解を恐れずに言うと、何しろ私が世界で初めてこの能のデリラという役を演じるのですから、「手本が無い」という不安はありますが、型付に制約された中で、演技を自由にふくらますことができる面白さがあるように感じます。
(つづく)