死生観

昨年末から年始にかけて、能楽界や身内も含めて、色々な大事な方が他界され、能のワキ僧ではありませんが、逆縁ながら喪に服して、当ブログの投稿を少し控えておりました。

(能に時々登場するこの「逆縁」という言葉、現在多くは、「子が親に先立つ」ことを指すようですが、本来は、生前に血縁や関係が無かったことを意味します)

 

いよいよ私自身も、これからどんなに長生きしたとしても、人生の半分は過ぎましたので、死生観を少しずつ意識するようになってきました。

人生の大先輩からすれば、44歳の私にはまだ早い、とお思いになるでしょうが、残された人生で、これから何が出来るのかを考えることによって、現在に立ち戻って張り切って生きていくことが出来ると思うのです。

人生の終わりを自覚して、厭世的になるのか、はたまたプラスに転じるのか、それは人それぞれでしょう。

 

18歳の終わりから30歳まで、約12年間宝生宗家2代に亘って(英雄・英照両宗家)住み込みの内弟子修行をさせていただきました。どこの馬の骨か分からぬ、というくらいの私には大変有難く光栄で、今の私があるのはそのおかげ、と思える、感謝してもしきれない素晴らしい期間でしたが、「12年」という年月はあまりに長い時間でした。

(ちなみに、修行開始当時、今の和英家元はまだ小学1年生で、私が独立した時はもう大学1年生!家族同様に生活したわけです)

いつ独立できるのか、先が見えない生活の為、今だから言えますが、やはりダレる時期が有ったように思います。本当の修行というものは、能以外のことに脇目も振らずに集中すれば、長くても5、6年で充分だと思います。芸が身につこうがつくまいが5年でシャバに出される、という危機感を持てば、人間火事場の馬鹿力が出るものです。そして、独立してからが勝負です。

 

本日1月17日は、阪神・淡路大震災から24年とのこと。当時私は、内弟子修行が始まって数年後のことでした。被災した方々は、私とは違って、常に「死」というものを隣り合わせに意識して生活してこられたことでしょう。

 

今、クイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディー』が旬ですが、リードボーカルのフレディ・マーキュリーは、45歳でこの世を去ったとのこと。私も今年45歳になります。フレディと比べるのはおこがましいほど、まだ何も成し得ていない、しかも煩悩の塊である私の場合、いつ死んでも悔いは残り、この世に足跡など何も残さないでしょうが、常に「死」を身近に意識して、毎日今を大事に生きたいと思います。