当麻寺練供養会式
予報に違わずここ数日は卯の花朽たしが降り、雨に濡れた青葉がむんむんと若い匂いを振り撒いています。
いよいよ明日は五雲会。久しぶりの晴れ間が見えるようです。
私の『雲雀山』は、15時20分から16時35分の予定ですが、折しも奈良の当麻(たいま)寺では、同日同時刻に「練供養会式(ねりくようえしき)」があります。
「練供養会」は、一度往生を遂げた後に現世に里帰りしていた中将姫(『雲雀山』では子方の役)を、25人の菩薩が迎えに行き、再び極楽へ導く様を再現する、とのこと。
読経が始まると、100メートルの木の渡り廊下(来迎橋)を、金色の仮面の菩薩が、体を左右にゆっくりスイングしながら娑婆堂の中将姫の像を迎えに行き、手にした蓮華座に像を載せて、再びスイングしながら極楽堂に帰る、というとても優雅な儀式です。
一度は見に行きたいと思っていましたが、まさか自分の『雲雀山』の演能の時間と重なるとは!これも何かの縁と思い、ありがたく勤めたいと思います。
この当麻寺の名前そのままの『当麻』(宝生流では「たえま」と読む)という曲があり、後シテが中将姫の霊。宗教色が濃い荘厳な曲で、難解で高級なためか、あまり上演されません。
中将姫を扱った曲は、この『当麻』と『雲雀山』2番のみ。
中将姫の伝説はさまざまあるようですが、能にならうと、横佩右大臣豊成公(藤原豊成。不比等の孫)の娘として生まれ、継母に疎まれ、讒言によって雲雀山で殺されそうになりますが、家臣と乳母によってかくまわれ、豊成公の狩りの際に偶然引き合わされ、都に戻ります。その後16歳で得度して、当麻寺に出家します。ほかの伝説によると、その後雲雀山に戻って亡くなったそうです。
数奇の人生を歩んだ女性、中将姫。その儚さ・不憫さは、『雲雀山』では、子方が勤めることによって、さらに増幅されます。
私が明日勤めるシテはその乳母。なぜ侍従に焦点を置いたか。ほかの狂女物には類がありません。
その姫に対する忠誠心と、母をも凌ぐ母性の静かな『強さ』のようなものを、表現できたらと思います。私の年齢では、柔らかくなど、なかなかできないのですから。
明日、ご多忙と存じますが、ご都合よろしければぜひお運び下さいませ。皆さまのご来場を心よりお待ちしております。